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【短編】とびこめよ、世界の果てに。

誰でもない誰かの話

飛べる。どこまでだって。
行ける。もっと遠くに。


そんなことを思って、電車を乗り継いで、誰のことも知らない街に来て。


橋から川に飛び込んだ。



思春期のどうしようもないメンヘラな感じ。
僕って何?僕なんかいなくたって良いよね?どうして生まれたの?僕は僕じゃなきゃ良かった。違う人になりたい。違う誰かになれたら良いのに。

乗り継いで来たのは結局、2つ隣の街だったし。
助けてくれたのは、親戚の叔父さんだった。

「何考えてんだバカ!」
溺れた僕を掴んで引っ張りながら叔父さんが怒鳴っているのが分かった。

「嫌だ!嫌だ!!嫌だ!!」
岸に上がって僕は、叔父さんに背中をバシバシ叩かれながら叫んでいた。
「うるせーっ!」
叔父さんはそう言って、僕をビンタする。目から涙が流れてもずぶ濡れすぎて見逃されてしまう。
「何が気に入らないんだ!?」
叔父さんは50歳すぎてリストラにあって、ハローワークに通っていると聞いていた。
僕が飛び降りた橋は、叔父さんの家とハローワークの中間地点にあったらしい。

「…全部気に入らない。父が僕の父で、母が僕の母であること。それに僕はなんで僕に生まれてしまったのか。」
「はあ?」
僕が胸の内を吐き出すと、叔父さんは世界一どうでもいい話を聞いた顔をした。
呆れて物が言えないと言うのはこの状態の人間のことであると初めて体感した。

日曜日でも土曜日でも祝日でもない今日は木曜日。

「ハロワ行っても仕事なくてよ。」
叔父さんは、30年近く同じ会社の同じ仕事をしてきた。
「俺ができるって言ったら運転だかんよ。」
長距離の運転手で、東北も関東も関西も九州だって北海道だって…僕の知らない土地を行ったり来たりしてきたのに。
「それが楽しくてやって来たかんな。後悔はねーし。あーだこーだ言っても始まんねーしな。毎日仕事探してるんだぜ」
なんで、会社から切られたんだろう。


「…まあ、食えよ。」
川原から引き上げて叔父さんのアパートに来てシャワーを借りた。叔父さんの服を着た僕に指し出されたのは烏賊と大根の煮物。晩酌のおつまみの小鉢に入っている。
「ドライバーの頃はよ、これが楽しみで仕事してたけど、今となっちゃ日常な…。」
おじさんの視線の先には、安物の酒のパックが何種類か並んでいる。
「週1回だったんだ、晩酌は。」
長距離ドライバーだったからあまりお酒は飲まないようにしていたようだ。
そんな叔父さんとは全く真逆で
「父は毎日、毎晩です。大きな顔をして、母の作ったおかずを食べながら酔い潰れるまで。夕飯が片付かないため、母はイライラし始めて。」
「健さんは、昔からだ。酒癖が悪い。」
「母は僕に八つ当たりをします。勉強しろと言って、自室に戻るように命令します。」
「……姉ちゃんなりに見せたくないんじゃねえか。」
叔父さんは僕の母の弟だから、少し庇うようだった。
「そうでしょうか。父と母の口喧嘩の声は、僕の部屋のみならずご近所に丸聞こえです。そのせいで、学校では、僕の家の事情が噂になります。男子の間では僕の父と母のモノマネをしバカにします。僕はそれを黙って見ていて何も言えません。」

叔父さんはコップに注いだ清酒をちびちびと飲み始めて何も言わなくなった。

僕は、ただただ気まずいなって思う。

「ヒステリーは困るよな。」
烏賊の足を口に入れながらおじさんが言う。
「なあ、ミチル。」
「はい。」
「烏賊は、足の先が美味いんだよ。食いな。」
「はい。」
そう言われて食べてみると、もそもそとした食感に醤油のしょっぱさが口に広がる。
とても美味しいとは思えない。
「どう?」
「美味しくは…ありません。」
「はは、いいね。」
美味しいと言って勧めてくれた叔父さんに美味しくないと言ってしまったことを少し後悔した。

「言ってみなよ、姉にも。健さんにも。」
「え。」
「嫌なんだろ?」
「え?」
「口喧嘩。そのせいでバカにされるのも。」
知ったような話ぶりに少し腹が立つ。
「同級生に、バカにするなって言えないのは、自分で自分の家がバカにされるのは当然だって思ってるからだよな。」
「え?」
「つまり、ミチルは、健さんと姉をバカにしてるんだよな。」
叔父さんの言う意味はとてもよくわかった。
「家族なんてよ、別に好きじゃなくて良いんだよ。嫌いだって家族だからよ。」
「なんか、それ。」
「ん?」
「叔父さん、僕の父と母嫌いですか?」
「…ミチルには教えない。」
叔父さんは昔からそう。
自分の気持ちは僕に教えてくれない。
「俺がどう思ってようが、関係ないよな?」
そう言って笑ってだいたい話が終わる。

「ミチル。川は汚かっただろ?」
「……たしかに、思っていたより綺麗ではありませんでした。」
「だよな。泥と生活排水の集まりだからな。汚いんだわ。よく飛び込んだよ。へへ。汚い汚い。」
叔父さんは、そう言って、コップを空にする。
「なんで死のうとしたんだよ?」
「いえ、飛んでみたかったんです。」
「は?川に?」
「いえ。どこでも良かったんです。たまたま、川だったというだけで。」
「は?なんで?」
「僕ではない誰かになれないかと。」
「…自分が嫌いなのか?」
「僕が他の誰かであれば、アイツらにバカにされない。僕のパーソナルではない部分で僕はバカにされている。父と母の口喧嘩がなければ…そもそも、僕は何もしていないのにどうしてバカにされるのか。」
家庭環境が最悪というわけではない。たまたま父の酒癖が悪く、たまたま母がヒステリックなだけで。しかし、それが僕の世界の全てであることは、まあまあな不運ではある。

「相手にするな。嫌がらせはソイツらの無知の産物だ。ミチルが嫌な顔をするのを楽しんでるだけ。自分の人格は自分で決めろ。相手にするのは時間の無駄だ。」

叔父さんは、空になったコップに水道水を注いだ。
「さっきミチルが飛び込んだ川の水は、浄水場に運ばれる。きっと、唾も鼻水も一緒に。菌もバクテリアで上手いことされて、塩素で消毒されて飲み水になる。誰かが汚した水が巡り巡って、その誰かに返っていく。」
一口飲んで、息をついた。
「悪い行いは、悪い奴に返っていくよ。バカにしたらバカにされるということだ。相手にするな。ミチルはミチルでしかいられない。今日は泊まれ。連絡しとく。」

中学校は3クラス。
僕は2年2組だ。30人1クラスの中で出席番号は15番。真ん中の真ん中。でも、立ち位置は端っこ。仲の良い人はいない。友達を作り損ねた。部活はサッカー部だったけど、美術部に移った。
なぜか。
部活後に、ボール当てゲームがあるからだ。的は3年の補欠、春田先輩。キーパーだった。初めは見ているだけだった僕たちも加わらなくてはならなくなり、初めて当てたボールで春田先輩の歯を折ってしまった。
僕は、春田先輩に治療費を渡して謝罪したが、親にも先生にも酷く叱られ、部員からも犯罪者と呼ばれた。

口を狙えと言われてやった僕が悪い。

あまり部活に参加しなくても文句の言われない美術部に移って、平和に生きて行けると思った。

美術部になって、部室に行ったのは1度だけ。そのあとは全く足が向かない。

毎日、学校へ何しに行くんだろう。
勉強だけなら家でもできる。それでも学校に来る理由は?
そう思っていたら、帰り道とは逆の最寄駅に向かい、川に飛び込む結末に至ってしまった。


叔父さんのアパートは天井が高い。
ロフトがあるからだ。一人暮らしには十分な部屋。ワンルームで、居間と寝室が一緒。結婚もせず、1人で生きている。
ベッドを借りたけど眠れない。床に寝ている叔父さんを突いた。

「…なんだよ?」
「明日も、僕といてくれませんか?」
「なんで?」
「行ってみたいんです。」
「どこに?」
「学校以外に。」
「ええ……。」
少しめんどくさそうだった。
「なんで?」
「学校が必要かどうか、確かめたいんです。」
叔父さんは、頭を掻きむしってそれからまた僕を見る。
「…飯食って、ハロワ行って、飯食って、…そんな感じだけど来る?」
「はい。」

社会の営み。
僕には知らないことしかなかった。

叔父さんは、床から起き上がるとまず顔を洗った。冷蔵庫にあるたくあんを切って、皿に並べてテーブルに置くと炊飯ジャーからご飯をよそう。
「飯。食えよ。」
じっと見ていた僕にそう言う。おはようとは言われなかった。
ベッドから起き上がってテーブルの前に座った。
「これだけですか?おかず。」
「諦めろ。俺の家だから。」

たくあんは、よくあるもので美味しいともそうでないとも思えない。ただただ、…物足りない。
「いつも、朝は何食べるんだ?」
「バナナと食パン、それにトマトと卵焼きです。」
「姉が用意したもの?」
僕は首を横に振る。
「僕、自分で用意するので。」
「へえ。大人じゃん。」
「…そうですか?」
食べ終わった食器は僕が片付けた。

叔父さんの服を借りる。少し大きく僕には似合わない。スラックスと白いワイシャツ。靴も叔父さんので、スニーカーだ。ファッションセンスはまるで良くない。
「ハロワ行くぞ。」
トートバッグにファイルを入れて、財布も携帯も一緒に入れてしまう。
「ハロワ終わったら、牛丼でも食おう。」
「はい。」
「食ったことあるか?すき家。」
「…外食はあまりしません。母は、自分の作ったものを信用しています。」
「だろうな。」

昨日来た道を歩いていく。橋に差し掛かって、叔父さんがため息をついた。
「よく、こんなとこから飛び降りられたな。偉いよ。」
僕の頭をわしゃわしゃとやってニッて笑った。
「飛び込みの選手にでもなったらどうだ?20メートル?いや、もっとあるよな。ここ。」
「嫌です。水着が嫌いなので。」
「なんで?」
「お尻が板のようだと母に言われました。」
「馬鹿馬鹿しいや。滑稽だね。」
叔父さんは、ククって笑う。それは本当に嘲笑うようだった。
「ミチルは、プライドが高いよ。言う方も悪いけど、言われたこと気にしすぎ。あ、俺の言うことも気にしなくていいからね。自分以外の言葉気にしてたって良いことなんかないからな。」
踵を引きずった歩き方は、汚らしくて、この人について来ることにしたのを少し後悔した。

ハローワークは、商業ビルの5階にある。壁の掲示板に求人の案内や職業訓練セミナーのチラシが貼ってある。
「良い案件はないな。」
叔父さんは一言そう呟いて自動ドアを潜る。
僕は掲示板に貼られた求人を読んでみる。

東山電子/製造ライン補助 時給950円
南海工業/目視検査 時給980円
西空産業/ビル清掃員 時給965円
北川食品/製造 時給970円 社員登用有

…どんな仕事なんだろう。

「ミチル、おいで。」
中学生の僕を手招きする叔父さんが頼もしい先輩に見える。周りから見たら、子供を引き回す悪い大人に見えるかもしれないのに叔父さんは平然としている。

「このパソコンで仕事探すわけ。これやりに来るだけで失業保険降りるから真面目に通ってんだわ。みんな。」
「え。」
「前の仕事辞めて収入がないうちは、ハロワに週何回か来て、一応就活アピールしなきゃなんないの。ま、でも、普通に仕事探してるけどな。」
「…はい。」
年齢や地域、職種を選んで求人一覧を検索する。
叔父さんは、やっぱり職種には長距離運転とかトラックドライバーとかを選んでいて、他の職種を検索する気はないように見えた。
「ね、叔父さん。」
「ん?」
「製造とかそういうのは?」
「…アレは……若い人の仕事だろ。」
少し離れた場所の30代ぐらいの人を見ながら言う。僕は、パソコン画面の職種一覧に目が行った。
「この、オペレーターってなんですか?」
「…ミチル、俺がなんでも知ってると思うか?」
「え?」
「案外、何も知らないんだ。みくびるなよ。」
「え?」
オペレーター、エンジニア、プログラマー、デザイナー、聞いたことの無い言葉だらけだった。

「ミチル、専門分野ってやつを持ってると働くってことが楽しみになる。
俺は俺で専門分野だと思って仕事選んでるからな。第一に俺は、大型や特殊の運転免許があるからよ。健康だし、虫歯もないからな。」
「…はい。」
「まだまだ働けるぜ。俺を放っておくなんて世の中いかれてやがんぜ。」
叔父さんが選んで出てきた求人は2件。
印刷をかけると2枚ともプリンターから出てきた。
「スーパースターのおでましだぜ。な?」
「誰のことです?」
「俺だろ。」
青いクリアホルダーを手に取ると、トートバッグからエントリーシートを取り出して一緒に挟む。
紹介受付の窓口のトレイに入れて
「受付完了。あとは待つのみ。ジュースでも買ったるよ。」
「…ありがとうございます。」

階段の近くにある自販機には、好みのジュースはなかった。
「本当にお茶で良いのか?」
「はい。」
叔父さんがお金を入れてボタンを押すのは僕だった。僕がお茶を拾い上げて、叔父さんはコーヒーを買った。
「なんか、あるか。」
「え?」
「ミチルがやってみたい仕事。」
自販機の横には、いろんな職種が書いてあるいろんなパンフレットがあった。
「わかりません。ここに書いてあるものの意味が。」
「そ。」
「はい。」
叔父さんが、飲みなって言うから、お茶の蓋を開けてひと口飲んだ。
「中学校ってよ、残酷だよな。3年間。強制的に部活に入って、小学校までただの友達だった同級生が先輩になってよ。
んで、進路指導ってのがあって、急に将来の目標とか聞かれ始めるだろ?
友達の間で好きな子がいるとかいないとか、そんな話し始めて…。いるか?好きな子?」
「…いません。」
「あれ、やったことあるか?交換日記。」
「なんですかそれ?」
「…エモいぜ。誰かとやってみろよ。」
「えっと、概念がないので。」
「簡単に言ったら日記交換するの。」
「LINEで良くないですか?」
「グループの?」
「はい。」
「やったことあるの?」
「グループLINEは友達がいないのでやっていません。サッカー部のころ入りましたが抜けました。」
「そ。」
「はい。」
「ふーん。」
叔父さんは、缶コーヒーを飲み始めて眉間に皺を寄せた。
「間違えた。ミルク入り。甘いな。」
「ふふ。」
「お茶にすりゃ良かったよ。」
「ですね。無難です。」
「な。」
「はい。」
「…甘あ。」
文句を言いながらもきちんと飲むから少し尊敬する。

「そろそろ呼ばれるかもな。戻るか。」
「はい。」
親戚の中じゃ叔父さんは、煙たがれる存在感だったりした。風態が悪くて、たまに現れた時の無精髭。声が大きく言葉が乱暴だったり。母は、あまり叔父さんのこと好きじゃないし。

受付に呼ばれて猫背で椅子に座って、時々頭を掻きむしって叔父さんは窓口の人の話を聞いていた。
僕は何も分からないから、その様子と周りの人を見比べていた。金髪の若い女の人に、髭の生えた高齢の人。

みんな仕事を探している。

僕はどんな仕事をする大人になりたいだろう。
学校にいたら、大人は先生しかいなかった。
父は建築士。母は医療事務。
職業の名前は知ってるけど、内容は知らない。

「漕ぎ着けたぞ。」
「え?」
誇らしげな表情で僕のそばに寄ってくる叔父さんからなんらかの成功を得た感覚は伝わってきた。
「明日、面接だ。採用は、ほぼ確定だな。」
「…おめでとうございます。」
「喜ぶのは、まだ早い。確定じゃないからな。落ち着け。」
「ふふ。」
「よし、床屋に行くぞ。ミチルも行こうな。」
「嫌です。僕は美容室で切ってもらっているので。」
「頭洗ってもらえよ。床屋はすげーんだから。」

叔父さんは、床屋さんで髪を切ってもらって髭も剃ってもらう。面接は明日で、履歴書は何枚も書いたから書かなくてもストックがあるが、写真だけは撮っていなかった。
オールバックに整えた髪は気合いが入っていて、ジャケットを着た叔父さんは矢沢永吉みたいだった。
「どうだ?ミチル。」
「…叔父さんらしいです。」
「ミチルもやってもらえ。スッキリするぞ。金は出す。」
「いや、僕はそのようには…。」
「良いから、座れよ。」
僕は、おじさんに言われるまま恐る恐る椅子に座る。
「男前にしてやってください!」
叔父さんが声をかけると床屋のおじいさんがハサミと櫛を動かし始める。襟足からハサミの音がする。
「前髪は目にかかるようにしたいの?」
「いえ、伸びてしまって。」
「じゃあ、切るね。」
僕は、自分の髪がどうなってしまうのか怖くて怖くて、目をきつく閉じ震えを押さえてハサミとバリカンの音を聞いていた。

「目ぇ開けろよミチル。」
絶対にスポーツ狩りになってるに違いない。激しく後悔して恐る恐る目を開けた。
「え。あ。ええ…。」
思わず立ち上がった。鏡に顔を近づけた。
僕は、小学4年くらいからずっと同じ髪型だった。ずっと目にかからないくらいの少し長めのショートカットだった。
「このくらいが似合うのかなってね。」
今まで、したことのないツーブロック。前に下がったマッシュは、センターで分けられている。
「こんなの、僕じゃないです。」
おでこを出すなんて考えられない。

「ちょっと座って。眉毛やってあげるよ。」
眉毛の邪魔なところをおじいさんがいじってくれた。
「うわ。僕じゃない。僕じゃないです。」
鏡を覗き込む僕をおじいさんが覗き込む。

「ちょっと大人っぽくなったね。」
「大人…ですか?」
「これから、いろんなことを身につけていくと顔つきも逞しくなって、責任のある顔になる。さっきまでの君はとても見た目が子供だった。だから、今の自分の顔を見て自分じゃないと思うんじゃないかな。目の前が明るくなると自信があるように見えるんだよね。だから、少し大人っぽい。」
おじいさんは、微笑んで僕を見る。
「君の叔父さんは、私がずっと髪と髭を世話してる。ここぞという時に必ず来るんだよ。」
「バラさないでくださいよ、茂さん!」
大人たちが楽しそうに見えた。
僕もこんな風に楽しそうに話せる人に出会えるだろうか。
「今、君はいくつ?」
「14です。」
「そう。昔の元服だ。立志と言ってね。志を立てるころだ。将来どうなりたいとかね、考えるころだね。」
全く、将来なんかわからない。
「わかりません。僕には。将来も今も。どうありたいなんて。まったく、わかりません。」

大人2人は、顔を見合わせた。
「当たり前だよ。そんなもんだ。もっともらしいことを言ったが、今の君はそれで良いんだ。探せば良い。これからだよ。」

僕はなんとなく納得して、叔父さんが床屋さんに料金を払うのを見ていた。床屋さんは、いないと困る大事な仕事。

叔父さんについて行くと僕が普段行かないようなところに行く。
今まで、写真を撮る機械は、ゲーセンのプリ機しか触ったことがなかった。
ホームセンターの入り口にある証明写真撮影機はSiriみたいな声で顔の位置をきっちり指定されて撮る。なんだか、シンプルで無駄がないと思った。
「見ろ、美白モードの仕上がりを。」
いつもの叔父さんと何も変わらなかった。もはや、本人の気分の違いでしかない。美白モードを選んだと言う満足感だ。
「うん。良いと思います。」
「ミチルも撮れよ。」
「いえ、僕はいいです。」
「良いから座れ。」
叔父さんは、理由もなしに無駄なことをする。機械に無駄がなくても、使う人には無駄がある。
取り出した証明写真の僕は、少し不貞腐れた顔をしている。
「この顔じゃダメだわなー。」
「え?」
「書類で落ちちまうよ。なあ、ミチルも履歴書書いてみたらどうだ?」
「なぜですか?」
「自分の説明書みたいでおもしろいし、自分がなんなのかわかるから。」
「僕が、今の自分をわかってなんになるんですか?」
「…わかんねーけどな。」
本当に無駄なんだから。叔父さんの思いつきは。
と、言葉に出そうだったけど抑えた。出てきた言葉は自分でも意外な…
「書いてみます。おもしろそうなので。」
だった。
「ミチル、交換日記しようぜ。」
「え?」
「まずは、お前の履歴書、俺に見せてくれよ。俺も見せる。んで、お前は学校のこと、家のこと、今思ってること日記にして、俺に見せて。俺は、そうだな、仕事のこと、今日食った飯のこと、あとは…料理のことなんか書いたりしてな。一冊のノートに交換こすんだよ、日記を。な。」
「なんのために?」
叔父さんは、僕の証明写真と自分の証明写真を見比べた。
「俺とミチルが友達だったら、面白くないか?あー、面白くないか…。はは。やめよ。面倒だな。やめやめ。」
叔父さんが、歩き始めるから僕は追いかけて服の裾を引っ張った。
「あの、お金、後で渡すので、ノート買いましょうよ。」
「やる?交換日記。」
「はい。」
「本当に?」
「はい。」

ホームセンターの文具コーナでcampusノートを選んで、さらに履歴書も一緒に持って、叔父さんからお金を預かって買った。
勉強のためにしか買ったことのなかったノート。他のことに使うと思うと少し違う気分になった。
「まずはミチルな。履歴書と一緒に今度持ってこいよ。」
「はい。」

叔父さんと一緒にすき家に入って、テーブル席に座る。タッチパネルをいじり始める叔父さんは手慣れたもので次々に自分の食べたいものを選んでいた。
「好きなもん食べな。」
「あの、何を選べば良いですか?」
「は?」
「いや、僕はいつも朝ごはん以外は出されたものを食べていて…。」
「ああ…牛丼が食いたきゃ、牛丼だし。他にも…ほら。」
叔父さんはタッチパネルをいじりながらメニューを色々見せてくれた。
「毎日、毎日、選択の連続。何にもしてねえようで、何かはやってるもんだぜ。で?何食う?」
「じゃあ…カレーを…。」
「りょ」
注文すると、店員さんが叔父さんと僕の食事を運んできてくれる。
「当たり前みたいだけどな、当たり前じゃないだろ。今、来てくれた店員さんが、今日もし風邪で急に休んだら、店はてんてこ舞い。」
「てんてこ…舞い?」
「そ。あー…てんやわんやか。」
「そうなんですね。」
「そ。世の中ってよ、意外と上手くできてて。誰1人いなくたって成立しねーのよ。俺みたいなもんでも、ハロワの人にとっちゃお客なわけで。お客がいるってことは、その時間、給料が発生する意味があってよ。…あ、使う?七味。」
「…いりますか?カレーに…。」
「…いらねぇわな。はは。んでよ、俺が明日、面接行くってだけで、その会社に対してハロワは、ちゃんと仕事してることになるわけ。」
「叔父さん、なんの仕事するんですか?運転?」
「長距離な。どんな会社か知らねーが、俺を救世主として崇めるだろうよ。」
「本当に前向きですね。」
「まあよ、自信だけは持っとかねーとよ。どうなっても知らねーよ。結果なんか。」
叔父さんは、ガサツではあるが、乱暴ではない。決して行儀も悪くない。喋る時には口に物も入ってないし、手を口に当てる。それなりに気を遣ってくれる。
投げやりでもないし、リストラにあったことを後ろ向きには捉えていない。
「俺には、これしかないからよ。」
運転する真似をして、仕事が再開できる夢を見ている。
「僕、叔父さんと今日、一緒にいて良かったです。」
「そう?」
「はい。」
「へえ。…食えよ。」
「はい。」
「カレーも美味いよ。」
「へえ。」
「うん。」
周りを見ると、汚れた作業着の人や、綺麗なスーツの人、カジュアルな服の人に、会社の制服を着た人など。みんな、仕事をしている人ばかり。
父や母もお昼は、誰かと外食をするんだろうか。
「なあ、学校つまんねーか?」
「…勉強だけしかしに行ってないのでわかりません。」
「好きな教科は?」
「特には…ないです。」
「友だちは?」
「いません。」
「好きな子は?」
「いません。…それ、2度目です。」
「だっけか。」
「はい。」
「部活は?」
「行ってません。」
「何部?」
「…美術、別に好きじゃないですが。」
「あれカッケーよな、バンクシー。」
「ああ…。」
「ん?」
「いや。」
「え?」
「いいえ。」
「あれは?サルバドールダリ。」
「え、急に?」
「美術館行ったよ。変な模型の。」
「模型?アレは彫刻です。」
「細かいことは知らねーけど。アリばっか描いてやん。はは。」
「僕、そこまで知りません。」
「好きなマンガは?」
「読みません。」
「いいなミチル。」
「え。」
「なんも知らねーから、これからって感じ。はは。」

そういえば、僕は何も知らない。
学校の勉強は満遍なくできる。でも、得意な物も好きな物も何もない。それに、世の中のことなんか学校以外のことなんか何も知らない。
「そんなんでよ、嫌になるなよな。」
「…ごめんなさい。」
「ばーか。」
叔父さんは僕を助けた時、何を思ったんだろう。


叔父さんの人生の半分も僕は生きていないのに、人生に疲れたみたいな衝動に駆られて。
「ミチルはよ、なんでもやれんだぜ。どこまでもどこにだって行けんだよ。な。そうだろ?」
「そう…ですよね。」
食べ終わった食器は、米粒一つ、ネギのかけら一つ残っていない。
「いっぱい食って、いっぱい寝てよ。人に言われたことを気にしないで自由にやれよ。んで、それは残すなよ。美味いから。残したら後悔するかんな。」
「食べます。全部。」
「あ、水お代わりするか。」
初めて食べたすき家のカレーは僕には辛くて。でも、確かに美味しくて。僕は水をたくさん飲みながら食べていた。
「あとよ、うちまで送るから。」
僕が最後のひとくちを運ぼうとする時にそんなことを言うから泣いてしまう。
「乾いたかな制服…な?」
叔父さんは、外を見ているふりをして僕を見てないように振る舞った。
「はい。多分。」
「今日、学校サボった分、ちゃんと取り返せよ。自分のためにな。」
「はい。…大丈夫です。」
「頭は良いって聞いてるぜ。」
「はい。」
横に置いた日記用のノート。
僕は今の気持ちを家に帰ったら振り返って書くだろうか。照れ臭くて、言えないことも、日記になら正直に書けるかもしれない。
SNSじゃ書けなくても、叔父さんには打ち明けられる僕の気持ちを。
もしかしたら、返事が”気にするな”ばかりだとしても僕は自分の気持ちを打ち明けたいと思ったんだ。


叔父さんは、車を出してくれて、僕の家まで送ってくれた。
窓の外には川の水面に夕焼けが広がる。
赤信号、おじさんの横顔を見た。

「明日の面接、上手く行くよな。」
「え?」
「黙って、”はい”って言えよ。」
「…きっと、大丈夫です。」
叔父さんが僕を見た。
「だよな。」
青信号になる前に僕は叔父さんに大きく頷いた。


「救世主ですもんね。」

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#ならくーばら  さんのお写真お借りしました。


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