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最近の心 29歳になった人 仕事

懐かしい
大事な誰かにそう感じた。

誕生日が昨日で、ラインに提示があったから、9年ぶりに幼馴染に連絡を取ってみていた。
会いたくなった事もあったために

でも、少しだけ、会う意味ってあるのかなと思ってしまう

…最近は、再び太陽が沈んで行くような暗さになっている

再びというと、太陽が全く見えない
どれほど続くのだろうかこのトンネルと、光が全く見えなくなった時期は、18歳。大学1年で中退したとき。同世代の部員からいじめられ、寮で精神がボロボロになったあの頃、信頼していた人からも裏口を叩かれ。誰も信じたくなくなってしまった頃。実業団に入る夢を叶えるために大学へ行ったからこそ、バレーができなくなり、生き甲斐を本気で失ったと思った。人が怖くて気持ち悪くて、バレーがその頃の自分にとっての夢、希望、生き甲斐の全てであり、バレーを通じて、誰かに希望を与える人になると本気で思った。それを諦めざるを得ない状況に反吐が出た、死にたくなった。ボロボロで這ってコートに戻ることも、精神がやめてくれ、もう無理だと言ってきて、実家に帰ったら、もう、体育館にはいけなくなり、大学を中退した。「できる、心配ない、萌香なら大丈夫」といってくれた、友達やそう思ってた自分のハートは砕け散って粉々になった、自己嫌悪と、人間不信が絶頂であった頃。自分にとって、大きな挫折だった。

あの頃から比べたら、辛さの質が別物だが



今も残念なことに時々思う。

もうそろそろ人生いいんだけどと思う自分

いや人生まだまだっしょ?

と話しかけてくる自分?誰だか

これはマイナスでもプラスでもないはず あと、どのくらい時間が必要なんだろう 


自身の、
キャンパスはもう、色に埋まりまくって、余白がなくなっちまった だから色を足しても本当の気持ちが分からない なかなかに内部が痛い 正直、、自分の痛みなんてどうでも良かった だってみんなが大事なんだもの でも、結局、それはみんなのためにはなってない 全然ほおっておいて、見放されたり 優しくしなくていいのに とそれは、本当にただただ傲慢。 みんなにとって何故か自分は大事な存在であるから 当たり前かのように心配してくれる それに対して言葉も、"期待に"答えられるような態度は、自分は、表すことができなかった もう、期待通りなんて不可能であった

誰かの、期待に永遠に答えよう、別にそれでいい。だって目の前にいる誰かが、笑顔だからと思っていたら、やはり、随分早く、人生が灰のように感じられた 死んだあとのような感じとでも言うのか

どこかでは、そういう風に思う頃が来るのではと勘づいてもいたはずだったのに、目を背けるほうが楽だったんだろう


笑ってる人を目の前に見て笑う自分の内部は疼いていってたのか 目を背け続けてた部分があったとしてもその時は、何が幸せを感じてた それを素晴らしいものとも、本気で思った


「人を笑顔にできない自分は、駄目」

っていつから考えるようになってたんだろう


仕事でね、多くの人を笑顔にできなくなっていた。自分が徐々に笑顔じゃなくなったからなのか

やっていた仕事は、(理学療法士というリハビリテーション科にいるような人、7年目)

死に向かう皆さまに対し私自身は、最期を最高に彩る、生きることに力を添える存在であるんだと、理解していた。
肩をかして、寄り添ってくださいねと。穏やかな最期を迎えてくださいと…
最初は、もっと希望を感じる仕事だと思っていた


私は、そういうことをしたいんじゃなかった


これからを夢見る人を増やしたい

今が大変であるがこれからに希望を抱き前を向き楽しく過ごす人が一人でも多く、増えてほしいと願っていた。


これが私のやりたいことだ。


まず、私が、笑顔になる

まず、他人軸を、元に戻す

というか…新しくなりたい。


本当に小さい頃、お母さんが笑ってないから私が笑わせなきゃ、お母さん大変そうだから私がわがままなんて言えない。私がいい子にしていたら、お母さんが嬉しそう


って考えだすまえの、3歳?2歳?の自分を思い出したい



好きに真っ白の紙にずっと絵を書いた

ずっと、外をかけた

山に行った。


もう全て忘れて死にたくなった

でもやはり、それは、考え方とかまだ甘いだろう


もう少しただの自分、誰かを考えるじゃなくて、

自分のほんとの気持ちに気づきそれに行動していく自分と

生きていってから


自分が何人もいるのを気づいているずっと、悪いことでもなんでもない

けど。

辛いと思ってる自分に、手も差し伸べられないようじゃ、真の意味で、笑顔にできない

誰かの希望も見いだせない

そんな、誰かどなたかのことを考えるのは、2歳頃の自分と出会い直してから。になるんだろう


何時間、何年かかるんだろう


きっとこのあとに、大きい一つ、手放すことになる

恐怖である、

向き合いたくない

とある、私と長年関わっている人は
きっと怒る、キット話も聞いてくれなくなる
(ような気がする)

でも、仕方ないんだと。

自分との約束を忘れちゃいけないんだ。

涙はたくさん出て、それで死にたくなれば死ねばいいよ。

それでもきっと、私はちがうだろう?




〜書いてたが、一旦なしとなった文章〜⇓

なんだかもう、絡まりに絡まりあった糸のようで、解しても解しても、きりがないほど

自分の気持ちがわかるようでわからかった たった一人の自分のはずなのに思考が死ぬほど重かった


怪我をしたわけでもないのに

内部が痛くて

戦闘不能になり


働かないと、疎外感はどうしても感じてしまう。会社にとって役立たずになったとか、思ったりしてしまった

ニートさんはいるし否定する気はないけど、私は、ニートさんにはなれない(いつも他人軸だな)

人の役に立ってないのは、なんとも…



3歳くらいから、そう考えるようになっていった だけども母親に気を遣っても、自分の話を真剣に聞く機会は少なかった気がした

話を聞いてるんじゃなく、なんというのかな

命令とも違うが、



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