楽しんだらいけないのか?
最終的に、【障害者】だから?
あの日を境に、家から出ることに普段以上に労力がかかるようになった。
そして、オフの日などに(仕事の日は除く)化粧や好きな服を着ることすら怖くなった。
できるだけ、女を消す、無愛想にして、より警戒心を強めるようになった。
そして、普段から真後ろにべったり付けて歩く人に嫌悪感があるけれど、それが更に増した。
真後ろにベったり付けて歩く人(老若男女問わず)に対して、気持ち悪くて、吐き気、寒気がするようになった。
通院だったり、オフの日でたまに出かける時くらいはおしゃれしたい。
そうすることは、結構、ストレス解消になっていたことだった。
けれど、そんな楽しみすら奪われた感覚にある。
ストーカーされた側が、気を遣わないとならないのか?
ささやかな楽しみさえも、楽しんだらいけないのか?
いや、それ以前に。
障害者だから、楽しんだらいけないのか?
仕事だけやれれば、それ以外の楽しみを求めてはならないのか?
被害妄想も入っているかもしれない。
けれど、そういうふうに言動、行動、態度を取ってなかろうがそう思わせるように示した来た連中が存在する。
あの人や、あの気持ち悪い媚び女。
そして、その周りの人達に、ストーカー。
人に対して語弊はあるけれど、やさしくいること。
(わたしは人に対してやさしいとは思っていない。けれど、他人からは「やさしい」とよく言われる。)
その、【やさしさ】は相手からすると良いカモで、悪い意味で利用し、こころをズタズタに傷付けるという仇で返されたんだ。
「お前なんか、楽しむ権利もねぇよ。笑」
ってことですか、そうですか。
わたしが今苦しみ続けている状態、思いを、傷付けた連中とストーカーに味わってもらいたい気分。
…いずれは、しんどくなるか。
いや、それでも、今何もかも楽しめない状況や状態にさせてるんだからやっぱり許せないや。笑
人として、女として、楽しむこと。
それさえも、障害者だから許されないのか。
なぜ、加害者側が平然と笑いながら過ごすことは許されるのか。
なぜ、被害者側ばかり精神状態を悪化させられるのか。
ささやかな楽しみを奪った連中を許すことはできない。