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no title【8】
この世で、最も信憑性のない言葉。
それが、【愛】と【信じる】。
口先だけで、愛や愛情を語られても信憑性がない。
それは、信じるという言葉に対しても同じ。
どちらも、目に見えないものだから。
それに、その場しのぎで口先だけで良いことを言って安心させていることもある。
どちらの言葉にも、信憑性がなければ、誠意も感じられない。
だから、愛や信じるなんて信用できない。
「ある意味…信じてるし。」
人のこころに致命傷を負わせた人に、その言葉は言ってほしくなかった。
せめて言うとしても、ポーカーフェイスでいながら明らかに軽蔑の態度で
「信じてるから(そんなこと思ってねぇよ、嘘だよ。建前だよ。)」
と言ってほしかった。
それならば、まだ楽だった。
一歩踏み出せる可能性だってあった。
なのに、いくら感情労働という我慢をしていたとはいえ、あんな表情をされると困惑する。
ズタズタにされたこころには、その言葉は虚しく響く。
こころに、更なる傷が増えていく。
分かっているんだ。
現世では、人としての当たり前の幸せは望んではならない。
女としての幸せも望んではならない。
前々からそのことは知っている。
ハンデを持ってから、更にそのことを痛感している。
だから、愛や信じるという言葉自体聞くのも嫌だ。
同じ意味で違う言葉に変えられたって、同じ意味なら辛さが増すだけ。
どこまで絶望感を味わったらいいですか?
自分の存在を消すことが、皆にとっての幸せですか?
距離感や、立場とかそんなのどうでもいい。
同じ傷を付けてきたことに、変わりはないから。
どこまでこころに傷をつけたら、気が済みますか。
どこまでこころを殺せば、気が済みますか。
何回こころが死ねば、気が済みますか。