悲しみのかたち〜膝からくずれ落ちるほどの悲しみを見た
人の悲しみのかたちはさまざまである。号泣したり、シクシクとすすり泣いたり、歯を食いしばりじっと耐えたり。とくに突然降りかかる悲しみや苦しさに、人はどう行動するのか、自分自身にだって全くわからない。だって、練習なんてできっこないんだから。
私は10歳のとき父を亡くした。父は数カ月に渡って入院していたが、そこまで悪い状態とは知らされていなかったので、私がその知らせを耳にしたときの感覚はあまりにも突然に、という感じだった。
そのとき私はたまたま外に出ていた。7月の暑い最中、知り合いのおばちゃんに連れられて、父の入院している病院の近くの本屋さんを目指して歩いているときだった。私は父が亡くなったことをすぐには受け入れられなかったが、ショックは大きく、その瞬間立っていた地面が揺れて辺りが崩れていくような感覚を覚えた。不幸に見舞われたとき、ガラガラと音を立てて崩れるという表現をよく聞くけれど、そのときは周囲の音が一瞬にして止まった気がした。そして景色はガラガラというよりはグニャグニャという感じで崩れていった。そしてアスファルトから立ち昇る陽炎にように熱を帯びていたことを思い出す(今のように携帯電話もない時代に、てくてくと街を歩いていた私たちになぜタイミングよく父の訃報が届けられたか、その謎については、また別の機会に記したい)。
人が経験する悲しさというのは、やはり生き物との別れであることが多いのではないだろうか。肉親や友人との別れ、ペットとの別れ、あるいは大好きなミュージシャンや俳優などとの別れなどなど。私にとって父の死は、私が経験した中で最も大きな衝撃であった。ただし、それが最大の悲しみかというとよくわからない。悲しみは衝撃の後から追いかけるようにやってくることが多いものだ。しかも私はあまり父のことが好きではなかったので、このときは父を亡くしたことよりも、片親になってしまったという悲しみの方が大きかったかもしれない(ごめんね、お父さん)。
年月は流れ流れて、今度は私の息子の話である。2歳半頃のとき、生まれて初めて、屋台の金魚すくいで一匹だけ金魚を持ち帰ることができた。ビニール袋に入れて大事に持ち帰った金魚。家に着くとすぐ帰りがけに買った金魚鉢に入れてやった。オレンジ色の体をくねらせてゆらゆら泳ぐから名前はユラピー。息子が飼った初めての生き物だった。
その日の夜も翌日の朝も、息子は可愛いユラピーにずっと見とれていた。私はその息子の可愛さに見とれていた。朝幸せな気持ちで保育園に行き、夕方私に迎えられて帰宅した息子は、当然家に入るやいなやユラピーのところへまっしぐらである。しかし息子を待っていたのは、金魚鉢の水の上に横たわってプカっと浮かぶユラピーの姿だった。
季節は夏、しかもその日は特別暑かった。いつものように出かけた私は、ユラピーのためにエアコンをつけたままにしておくという発想がなかったのだ。当然金魚鉢の水はすぐにお湯になっただろう。その中で茹だってしまってユラピーはさぞ苦しかっただろう、辛かっただろう。家に持ち帰ってすぐに水道水に入れたこと自体が良くなかったのかもしれない。わが家に迎え入れてたった1日の命だった。
変わり果てた姿のユラピーを発見した息子は、まるでスローモーションのように膝がガックリと折れ、そのまま床に崩れ落ち、大号泣した。しばらくは何を言ってもなだめようがない。それは息子が初めて経験した、命ある大事なものとの別れだった。ユラピーにも息子にも可哀想なことをしたと思いながらも、私は(人が膝から崩れ落ちて悲しむさまを見たのは初めてだなあ)と、不謹慎ながらもなんだか感動を覚えたのであった。息子は覚えてないだろうな、こんな話。でも、その悲しみは息子の血となり肉となり、人として成長する栄養になったことだろう。
この先ももっともっと、息子には色々な悲しい出来事が起こるだろう。できることなら悲しいことはあまり起きない方がいい。でも、残念ながら悲しい出来事は嬉しいことと同じ数だけ起きるのだ。避けられないのだ。ならば、せめてその悲しみを上手く乗り越えて人生の糧としてもらいたいものである。ユラピーもきっとお空の上で見守っているに違いない。