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【古文】『源氏物語』『紫式部日記』/辞書引きながら

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英文学を読むなら英語で、ロシア文学を読むならロシア語で、『源氏物語』を読むなら古文で。外国語ならば、翻訳者に委ねるのも仕方なしとしても、せめて日本の古語なら、現代の作家が自己の世…
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#源氏物語

【古文】古文だからこそ分かること/『紫式部日記』を読んで

 これは、『紫式部日記』が如何なる本なのかという全体像を紹介するものでございます。  『源氏物語』は、光源氏を中心にした物語が展開いたしますけれども、光源氏が死んだ後も子や孫たちの物語として続いて参ります。光源氏の何か意志を継ぐとかの生き方が語られるのかと申しますと、そうでもございませぬ。人として同じ情欲に囚われ、同じ葛藤を懲りることなく繰り返していくのでございます。人物が誰であるかの性格は勿論重要ですけれども、物語の後半になるに従い、個人の物語よりも「時の流れ」の中で「人

『源氏物語』(古文)を読んだときの覚え書き_登場人物

◇物語の時代は◇ 先帝* → 桐壺帝 → 朱雀帝 → 冷泉帝 → 今上帝*   *(時代を示す呼び名は記されない) ◇主なる登場人物(五十音順)◇ 明石の君(あかしのきみ)   明石の入道の一人娘、光源氏との間に明石の姫君(後の今上帝の后、明石の中宮)を産む。後に明石の上として六条院冬の町に住む。 明石の入道(あかしのにふだう)   父は、桐壺の更衣の父按察使の大納言と兄弟、近衛中将(三位中将)の官職を捨て地方官(播磨守)として財を築き、出家、娘の良縁を住吉明神に祈願

『源氏物語』(古文)を読んだときの覚え書き_登場人物系図

『源氏物語』(古文)を読んだときの覚え書き_第54帖『夢浮橋(ゆめのうきはし)』

第54帖『夢浮橋(ゆめのうきはし)』 巻名は、古歌「世の中は 夢の渡りの 浮橋か うちわたりつつ ものをこそ思へ」(作者不詳)  (世の中は夢の中で渡る浮橋のようなものであろうか 橋を渡って逢瀬を重ねながらも 悩みが絶えないものだなあ) に基づくとされる。(藤原定家の源氏物語注釈『奥入』)  ※「夢」という語がこの巻に五回使われる。  ※第19帖『薄雲』(本文)にも「夢の渡りの 浮橋か」との引用あり。   ◆薫28歳◆ <物語の流れ>    薫の大将 →横川の僧都を訪ね、浮舟

『源氏物語』(古文)を読んだときの覚え書き_第53帖『手習(てならひ)』

第53帖『手習(てならひ)』 巻名は、浮舟が一命を取り留めたとはいえ、思いに耽る描写に「手習」とあることに拠る  ※「手習」とは、古歌や自作の歌に思いを託して手すさび(手先で何気なく、気晴らしでする遊び)で書き付けること。この巻に五回使われる。   ◆薫27歳~28歳夏◆(年立(としだち)では『蜻蛉』の巻に重なり、翌年夏まで) <物語の流れ>    浮舟 →高僧と母妹の尼の一行が初瀬(はつせ)詣で帰りに寄った「宇治の院(うぢのゐん)といひし所」で、死にかけた状態で発見される

『源氏物語』(古文)を読んだときの覚え書き_第52帖『蜻蛉(かげろふ)』

第52帖『蜻蛉(かげろふ)』 巻名は巻末の歌から 「『これこそは、限りなき人のかしづき生ほしたてたまへる姫君。また、かばかりぞ多くはあるべき。あやしかりけることは、さる聖の御あたりに、山のふところより出で来たる人びとの、かたほなるはなかりけるこそ。この、はかなしや、軽々しや、など思ひなす人も、かやうのうち見るけしきは、いみじうこそをかしかりしか』 と、何事につけても、ただかの一つゆかりをぞ思ひ出でたまひける。」  (「この人(宮の君)こそは、高貴なお方が大切に慈しんだ姫君なの

『源氏物語』(古文)を読んだときの覚え書き_第51帖『浮舟(うきふね)』

第51帖『浮舟(うきふね)』 巻名は、匂の宮が浮舟を連れ出し宇治川を渡る小舟の上で交わした主人公の名の出所ともなった歌から 《和歌》「年経とも 変はらむものか 橘の 小島の崎に 契る心は」(匂の宮)  (年がたっても変わったりはしない、変わらぬ緑の橘の小島で約束する私の気持ちは)   《和歌》「橘の 小島の色は かはらじを このうき舟ぞ ゆくへ知られぬ」(浮舟)  (お約束してくださる心は変わらないでしょうけれど、この浮舟のような私はどこへ行きますことやら。)  ※浮舟(水に

『源氏物語』(古文)を読んだときの覚え書き_第50帖『東屋(あづまや)』

第50帖『東屋(あづまや)』 巻名は、薫の大将が常陸夫人の娘(浮舟)の隠れ家に訪れたときの歌に拠る 《和歌》「さしとむる むぐらやしげき 東屋の あまりほどふる 雨そそきかな」(薫の大将)  (戸口を閉ざしている葎(むぐら)が繁ってでもいるのか、あまりに長い間待たされて軒の雨だれに濡れることだ)  ※「葎(むぐら)」とは、雑草のこと   ◆薫26歳秋◆ <物語の流れ>     常陸夫人(浮舟の母)・・・八の宮の北の方の姪、中将の君 →八の宮の女房の頃、八の宮子(浮舟)を産む

『源氏物語』(古文)を読んだときの覚え書き_第49帖『宿木(やどりぎ)』

第49帖『宿木(やどりぎ)』 薫の中将、大君の周忌法要で宇治を訪問、巻名はその時の歌の遣り取りから。 《和歌》「やどりきと 思ひ出でずは 木のもとの 旅寝もいかに さびしからまし」(薫の大将)  (前にここに泊ったことがあると思い出さなかったなら、この深山木(みやまぎ)のもとの旅寝もどんなに寂しかったであろう)  ※宿木・・・ここでは蔦のこと。「宿りき」に掛ける。   《和歌》「荒れ果つる 朽木のもとを やどりきと 思ひおきける ほどのかなしさ」(弁の尼)  (荒れ果てた朽木

『源氏物語』(古文)を読んだときの覚え書き_第48帖『早蕨(さわらび)』

第48帖『早蕨(さわらび)』 宇治山の阿闍梨から新年の挨拶と共に籠に蕨や土筆が届く。巻名は、阿闍梨と中の君との歌の遣り取りから。 《和歌》「君にとて あまたの春を 摘みしかば 常を忘れぬ 初蕨なり」(阿闍梨)  (亡き宮様にはと長年、春には献上いたしておりましたので、いつも通りの初蕨をさしあげました)   《和歌》「この春は 誰にか見せむ 亡き人の 形見に摘める 嶺の早蕨」(宇治の中の君)  (今年の春は(姉君も亡くなり)誰にお見せしましょうか、亡き父宮の形見としてお摘み下さ

『源氏物語』(古文)を読んだときの覚え書き_第47帖『総角(あげまき)』

第47帖『総角(あげまき)』 故八の宮の一周忌、娘二人は経典の飾り用の糸を編む。巻名は、薫の大将がその総角結びに寄せて大君への思いを詠む歌に拠る。 《和歌》「あげまきに 長き契りを むすびこめ おなじところに よりもあはなむ」(薫の大将)  (あなたが縒り結んでいる総角結びのように、あなたと私が長く寄り添えるようになりたいものだ)   ◆薫24歳秋~冬◆ <物語の流れ> 総角とは紐の結び方のこと。万字結びともいう。相撲の土俵の垂れ幕の四隅にこの結びが見られる。「幸運」の意。

『源氏物語』(古文)を読んだときの覚え書き_第46帖『椎本(しひがもと)』

第46帖『椎本(しひがもと)』 八の宮の死後、薫の中将はかつての居室で故人を偲ぶ。巻名はそのときの歌に拠る 《和歌》「立ち寄らむ 陰とたのみし 椎が本 むなしき床に なりにけるかな」(薫の中将)  (出家の暁にはわが師とお頼りしようと思っていた優婆塞の宮はお亡くなりになって、椎の張られたご修行の席も空しい床になってしまったのかな)  ※「優婆塞(うばそく)」とは、修行者に奉仕する在俗の信者をいうところから、出家得度しないで修道の生活を行なう人に及ぼしていう   ◆薫23歳春~

『源氏物語』(古文)を読んだときの覚え書き_第45帖『橋姫(はしひめ)』 宇治十帖(~夢浮橋)

第45帖『橋姫(はしひめ)』  宇治十帖(~夢浮橋) 巻名は、宇治の八の宮邸を訪れて娘の大君に興味を抱いて詠んだ歌に拠る 「橋姫の 心を汲みて 高瀬さす 棹のしづくに 袖ぞ濡れぬる」(薫の中将)  (橋姫のお淋しいお心の内はいかばかりかとお察しして、浅瀬をこぐ棹の雫(涙)に袖を濡らしております)  ※「さむしろに 衣かたしき 今宵もや 我を待つらむ 宇治の橋姫」(『古今集』巻十四恋四、読み人知らず)  「宇治の橋姫」は、宇治川の宇治橋に奉られる守護神。   ◆薫20歳~22歳

『源氏物語』(古文)を読んだときの覚え書き_第44帖『竹河(たけかは)』

  第44帖『竹河(たけかは)』 巻名は、藤侍従の所の集いで唄う催馬楽(さいばら)「竹河」に由来 《和歌》「竹河の はしうち出でし ひとふしに 深きこころの そこは知りきや」(薫の中将)  (竹河を謡いましたあの文句の一端に、私の深い心の内はお分かりくださいますでしょうか)  ※姫君を慕う気持ちを汲んでほしい、の意。   《和歌》「竹河に 夜をふかさじと いそぎしも いかなるふしを 思ひおかまし」(藤侍従)  (竹河を謡って夜更かしをしないで帰られたのはどういうおつもりと考え