『源氏物語』(古文)を読んだときの覚え書き_第52帖『蜻蛉(かげろふ)』
第52帖『蜻蛉(かげろふ)』
巻名は巻末の歌から
「『これこそは、限りなき人のかしづき生ほしたてたまへる姫君。また、かばかりぞ多くはあるべき。あやしかりけることは、さる聖の御あたりに、山のふところより出で来たる人びとの、かたほなるはなかりけるこそ。この、はかなしや、軽々しや、など思ひなす人も、かやうのうち見るけしきは、いみじうこそをかしかりしか』
と、何事につけても、ただかの一つゆかりをぞ思ひ出でたまひける。」
(「この人(宮の君)こそは、高貴なお方が大切に慈しんだ姫君なのです。そして、これほどなら世には多くいるでしょう。思いがけないことに、あの聖なるお方に山里で育てられた人々に、不十分なところはなかったということです。あのはかなくも軽はずみだと思う人(浮舟)も、こうしたちょっと会う感じでは、並々ならぬほど心ひかれるものです」
と、何ごとにつけ、あの八の宮の人々ばかり思い出されていたました。)
「あやしう、つらかりける契りどもを、つくづくと思ひ続け眺めたまふ夕暮、蜻蛉のものはかなげに飛びちがふを、
(どういうわけかみな悲しい結果に終わったことをつくづくと思い続けて見渡さられる夕暮れに、蜻蛉のはかなげに飛び交うところを、)
《和歌》『ありと見て 手にはとられず 見ればまた ゆくへもしらず 消えしかげろふ』(薫の大将)
(そこにいるとは見ても手には取られず、やっと手にしたと思えば、また行方も知れず消えた蜻蛉よ)
と、例の、独りごちたまふ、とかや。」
(と、例によって独り言を仰られた、とか。)
◆薫27歳◆
<物語の流れ>
宇治の邸 →浮舟が入水してしまったと思われる後の人々の慌て様と悲しみ →世間体を気にして亡骸のないまま粗略な葬式 →薫の大将、浮舟の四十九日法要を盛大に営む
《和歌》「我もまた 憂き古里を 荒れはてば 誰れ宿り木の 蔭をしのばむ」(薫の大将)
(私までが、この悲しい思いでの地を捨てて荒れるままにまかせたら、一体誰がこの宿を思い出すことだろう)
薫の大将 →明石の中宮主催の法華八講(光源氏のため、紫の上のためなど日を分けて経仏など供養)のとき、女一の宮を垣間見る →宇治八の宮の人々を偲ぶ
女一の宮・・・小宰相の宮(一品の宮)、今上帝と明石の中宮との第一皇女
<書き出し>
「かしこには、人々、おはせぬをもとめ騒げど、かひなし。物語の姫君の、人に盗まれたらむ朝(あした)のやうなれば、くはしくも言ひ続けず。京より、ありし使(つかひ)の帰らずなりにしかば、おぼつかなしとて、また人おこせたり。『まだ、鶏の鳴くになむ、出だし立てさせたまへる』と使の言ふに、いかに聞こえむと、乳母(めのと)よりはじめて、あわてまどふこと限りなし。思ひ得(う)るかたなくて、ただ騷ぎあへるを、かの心知れるどちなむ、いみじくものを思ひたまへりしさまを思ひ出づるに、身を投げたまへるか、とは思ひ寄りける。」
(あちら(宇治)では、人々が、(浮舟が)いらっしゃらないので、大騒ぎで探すけれども、何の甲斐もありません。物語の中の姫君が人に盗まれたとかいう翌朝のようなことなので、詳しく言い続けません、京(母君)から出された使いが帰らずままになったので、心配でならないと、また人を立てました。「まだ鶏の鳴く時刻に、出立おさせになられます」と使いが言うので、何と申し上げたらいいか、乳母をはじめ、あわて惑うばかりです。見当もつかなくて、ただ騒いでいるのを、あの事情を知っている者たちは、ひどく悩まれていらした様子を思い出されると、身投げされたのか、とは思い当たるのでした。)
※「させたまふ」は、「さす」(使役の助動詞)+の連用形「させ」+「たまふ」(尊敬の補助動詞)、~をおさせになるの意 →身分の高い人がだれかに行わせる意を表わし、使役する人に対しては下の「たまふ」が尊敬の意を表わす。ここでは、京の母君が使いを出させる人、使いの者が母君に対して敬語を使っている。
※「どち」は、接尾語、同等・同類である意を表わす「たち」と「ども」との中間で親しみのある語感を持つ。