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『源氏物語』(古文)を読んだときの覚え書き_第50帖『東屋(あづまや)』

第50帖『東屋(あづまや)』
巻名は、薫の大将が常陸夫人の娘(浮舟)の隠れ家に訪れたときの歌に拠る
《和歌》「さしとむる むぐらやしげき 東屋の あまりほどふる 雨そそきかな」(薫の大将)
 (戸口を閉ざしている葎(むぐら)が繁ってでもいるのか、あまりに長い間待たされて軒の雨だれに濡れることだ)
 ※「葎(むぐら)」とは、雑草のこと
 
◆薫26歳秋◆
<物語の流れ>
    常陸夫人(浮舟の母)・・・八の宮の北の方の姪、中将の君 →八の宮の女房の頃、八の宮子(浮舟)を産む →常陸之介の後妻、実娘(浮舟)の相手に左近の少将を選ぶ →左近の少将、常陸之介の実娘(浮舟の妹)を選ぶ →兵部卿の宮(匂の宮)夫人中の君に娘(浮舟)を預ける →匂の宮、浮舟に近付く →娘(浮舟)を三条の小屋へ
   薫の大将(27歳)→弁の尼から状況を聞く →浮舟を連れだして宇治の故八の宮の屋敷に匿う
 
<書き出し>
「筑波山(つくばやま)を分け見まほしき御心はありながら、端山(はやま)の繁(しげ)りまであながちに思ひ入らむも、いと人聞(ぎ)き軽々(かろがろ)しう、かたはらいたかるべきほどなれば、おぼし憚(はばか)りて、御消息(せうそこ)をだにえ伝へさせたまはず。かの尼君のもとよりぞ、母北の方に、のたまひしさまなど、たびたびほのめかしおこせけれど、まめやかに御心とまるべきこととも思はねば、ただ、さまでも尋ね知りたまふらむこと、とばかりをかしう思ひて、人の御ほどのただ今世にありがたげなるをも、数(かず)ならましかば、などぞよろづに思ひける。」
 
 ((薫の君は)筑波山を分け入ってでも見たいお気持ちはありながら、葉山の繁みにまでむやみに熱心になるのも、たいそう人聞きには軽々しく、気恥ずかしいので、思い憚られて、御手紙さえ取り次がせなさいません。あの尼君もとから、(浮舟の)母北の方に、仰せの趣など、たびたびそれとなく書かれて寄こされましたけれども、母は、本気で御関心を抱かれていることとも思わないので、ただそのようにまで調べられて素性を御存知であろうことだけには興味深く思われて、御人柄身分が当節ではめったにないほどのお方と思うものの、もし、(こちらが高貴な身分に入らず)人並みの身分であったら、などとあれこれ思いました。)
 ※「心とまる」は、心引かれる、気になる、の意
 ※「ありがたげなり」は、形容動詞{なら/なり・に/なり/なる/なれ/なれ}、めったにない様子である、珍しい様子である、の意
 
 
《和歌》「やどり木は 色かはりぬる 秋なれど むかしおぼえて 澄める月かな」(弁の尼)
 (宿木はすっかり紅葉して色が変わってしまった秋でございますが、昔に変わらず月は澄みわたっています)
 ※宿木は折り敷いてある蔦に寄せて、さらに去年秋の「宿木」を詠み込んだ贈答を踏まえたもの。上の句、大君から浮舟に替わったことを暗に言い、下の句、月を薫に譬える。「澄める」に「住める」を掛ける。
 
《和歌》「里の名も むかしながらに 見し人の おもがはりせる ねやの月かげ」(薫の大将)
 (宇治という里の名も昔のままで、世を憂しと嘆く私も昔のままだが、昔の人が面変わりしたかと思われる(新しい女性と過ごす)閨(ねや)の月影です)

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