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第52回 『想像ラジオ』 いとうせいこう著

 こんばんは、JUNBUN太郎です!

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 今夜も「読書はコスパ最高のコスプレです」のお時間がやってきました。本は自分以外の人間になりきる最も安あがりな道具。この番組では、リスナーのみなさんから寄せられる、読書体験ならぬコスプレ体験を、毎週ひとつご紹介していきます。
 ではさっそくリスナーからのお便りをご紹介しましょう。
 ラジオネーム、コトリさん。

 JUNBUN太郎さん、こんばんは。
 ニュースをみるたび、国内の感染死者数を知らされますよね。どんどん増えていく。世界中でたくさんの人たちが亡くなっています。幸いなことに私の家族や友人、知人は亡くなっていません。でも、日々カウントされていく亡くなった人たちのことを思うと、悲しい気持ちになります。そして、知りたくなるんです。亡くなった人たちはどんな思いでいたのだろう?って。
 これって、ただの好奇心で、不謹慎なことかもしれない。直接関わりのない死者のことを分かろうとするなんて、単なる思い上がりなのかもしれない──見知らぬ人の死を思う時、私はいつも密かに罪悪感のようなものを感じていました。

 そんな私は最近、ある本と出会いました。書店をブラブラしている時、とつぜん言いようのない気配を感じて、振り返ってみると、その文庫本のタイトルが目に飛び込んできたんです。

『想像ラジオ』

 本なのに、ラジオ? しかも、想像ラジオ……?
 そのタイトルのちょっと不思議な語感に惹かれて、私は読んでみることにしました。

 頁をめくってみると、この作品はこんな挨拶から始まります。

こんばんは。
あるいはおはよう。
もしくはこんにちは。
想像ラジオです。(引用)

 どうやら、DJアークという男性によるラジオ番組が始まったようです。挨拶がヘンテコなのは、それがリスナーの想像力の中でだけオンエアされるラジオ番組だからなのでした。
 ステキな設定!って思いながらそのまま聴いていくと、DJアークは軽妙な調子で自分語りをしながら、ときどき選曲した音楽を流し、リスナーさんからのお便りを紹介しては、リクエストされた曲を流すっていう、いかにもラジオな感じで番組は進んでいきます。
 ふむふむ、とリスナーの一人として聴き入っていた私でしたが、そのうち、だんだんとそのラジオ番組の正体がわかってきました。DJアークは東日本大震災の津波によって杉の木の上に一人取り残された死者であり、リスナーたちは同様に震災によって亡くなった人たちなのです。つまり、これは死者による死者のためのラジオ。死者にしか聴こえないはずのラジオをいま聴いているのだと知った私は、聴いちゃいけないものを聴いてしまっているような気がして、また例の後ろ暗い気持ちを覚えました。
 わたしなんかが、見知らぬ死者の声を聴いてしまっていいのだろうか?──

 逡巡しながら、読み進めていくと、私にとっては救いの展開が待っていました──

 死者のことを想う、生者のことを想う──生きるという人間の営みのありようを問う『想像ラジオ』をまだ読んでいないというリスナーの方は、ぜひ読んでから、続きをお楽しみください!

 この作品はラジオ番組のオンエアと並行して男性作家Sを語り手とした物語が進行していきます。彼は杉の木の上にひっかかったまま亡くなった見知らぬ男性が何かを訴えかけているのではないかと察し、その声を聴こうとするんです。でも聴こえない。それでも聴きたいと願う。
 わたしはそれから作家Sの視点で(コスプレして?)夢中で読み進めました。

 作家Sは恋人らしき女性と会話をしているんです。彼女は率直で思いやりのある、ちょっと魅力的な女性。でも、会話が進むうち、彼女がすでに亡くなっていることがわかってくる。つまり、作家Sは亡くなった恋人のことを想像しながら、会話のキャッチボールを書き綴っているのでした。こんな方法で死者を慰めたり、死者から慰められたりすることができるなんて。
 さらには、作家Sの恋人は、夢の中で鳥になって、杉の木の上の男と対面したことを打ち明けます。死者にしかアプローチできないDJアークの存在を、作家Sはそのようにして、つまり亡くなった恋人の力を借りて、ついに感じ取ることができたのでした。私はここで一回泣きました。

 この本を読み終わって、思い返されるのは、作家Sと恋人との会話の一節です。

 つまり生者と死者は持ちつ持たれつなんだよ。決して一方的な関係じゃない。どちらかだけがあるんじゃなくて、ふたつでひとつなんだ。(作中より引用)

 そうか。人間は死んだら切り離されてしまうものじゃなくって、生者と死者は互いに互いの存在を必要としながら共生しているんだなーって気づきました。

 DJアークがそもそもラジオ番組を始めたのも、一緒に暮らしていた奥さんや、海外に住む息子の消息を知りたくて、その声を聴きたかったからなんです。でもその番組は死者にしか聴こえないから、奥さんや息子さんからお便りはいつまでたっても届かない。それが生きていることの証でもあるんだけれど、それでもDJアークは家族の声が聴きたくってたまらない。たくさんの温かいリスナーつまり死者たちは、そんなDJアークの願いを叶えてあげようとする。
 死者も、生者を求めているんですよね。

 作家SがDJアークの声を聴こうとしたように、DJアークが生き残った奥さんや息子さんの声を聴こうとしたように、生者は死者を求め、死者は生者を求めている。声の通じ合う回路を求めている。その切っても切り離せない関係を叶えるのが、わたしたち誰もに生来備わっている、想像力なのですよね。
 人間は二度死ぬと聞いたことがあります。一度目は肉体が朽ちる時。二度目は残された人々から忘れ去られた時。
 人間を二度死なせないために、わたしたちは想像力で死者を想う。そして死者を想うことで、わたしたちは生きていけるんじゃないでしょうか。
 想像ラジオはいまも、この先もずっと、誰かがDJになって番組を続けていくのだと思います。いまこの瞬間にもリスナーからのお便りが読み上げられ、思い出の一曲が紹介されているのでしょう。私には残念ながら聴こえません。でも、それをどうにか聴こうと、これからも目をつむり、耳を傾けてみようと思います。私自身の想像力を信じて。
 たっくさん泣きましたが、おかげで気持ちがとっても楽になりました。想像ラジオ、ありがとう!!


 コトリさん、どうもありがとうございます!
 この作品は、東日本大震災を背景にして、2013年に発表された小説です。以来、読者が読者を呼び、沢山の方々にいまもなお読み継がれていますよね。
 ぼくもこの作品を何度読んだかわかりません。
 東日本大震災から10年を迎えました。また、世界はいま未曾有の災禍に見舞われています。こうした時期に読まれることをこの作品は願っているんじゃないかなって思います。
 コトリさん、またぜひお便りしてくださいね!

 それではまた来週。 

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