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第56回 『東京島』 桐野夏生著


 こんばんは、JUNBUN太郎です!

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 今夜も「読書はコスパ最高のコスプレです」のお時間がやってきました。本は自分以外の人間になりきる最も安あがりな道具。この番組では、リスナーのみなさんから寄せられる、読書体験ならぬコスプレ体験を、毎週ひとつご紹介していきます。
 ではさっそくリスナーからのお便りをご紹介しましょう。
 ラジオネーム、キヨミさん。

 JUNBUN太郎さん、こんばんは。
 わたしは都内に暮らすごくごく平凡な主婦です。息子は気づけばもう中学生。最近ちょっとずつですが自分の時間を楽しめるようになってきました。

 突然ですが、太郎さんに質問です。

 無人島に何かひとつ持っていけるとしたら、何を持っていきますか?

 この質問って、定番ですよね。
 リスナーのみなさんも今までに1回くらいは考えたことがあるんじゃないでしょうか。わたしの場合は、ずいぶん昔ですが、いまの夫と付き合っている頃に質問されたことがあります。
 その時さんざん迷った末にわたしが
「お気に入りのCDかな。音楽きけたら退屈しなさそうだし」
 そう答えると、夫には、
「君は無人島ではとても生きてはいけないタイプだね」
 そう言って大笑いされました。

 なぜこんな話をしたかというと、最近自分の時間がとれるようになったので、昔好きだった読書を再開したんです。

 そこで出会った小説が、『東京島』

 ある日とつぜん無人島で暮らすことを余儀なくされた女性のお話なんです。
 電気もガスもない、トイレやお風呂も、スーパーやコンビニさえない孤島で暮らしていくのって、考えてみたらそうとう過酷なことですよね。この本を読むことで、わたしは、生きていくことの大変さや、文明のありがたみを改めて実感したのですが、それだけではありませんでした──

 孤島に漂着した男たちとひとりの女。何もないところから生き延びようとする人間たちのサバイバル小説『東京島』をまだ読んでいないというリスナーの方は、ぜひ読んでから、続きをお楽しみください!

 物語の主人公は、清子(キヨコ)という中年女性。
 彼女は夫との船旅の途中で海難事故に遭い、どこともわからない無人島に流れ着きます。やがてそこに、とある雇われ仕事に不満を抱き船で集団脱走を試みた23人の青年たちが遭難し、島へと漂流してきます。さらには、得体の知れない中国人男性が11人、ボートで島に置き去りにされます。いつしか「トウキョウ」と名付けられたその島で、彼らはそれぞれに暮らし始めます。

 この状況って──
 そう、清子以外は全員が男性。
 彼女は島で唯一の女性として生活していかなくてはならなくなるんです。やがて夫が亡くなると、彼女は他の男性たちから「女」を求められるようになります。40を過ぎ、自分でも忘れかけていた「女」の部分を再び意識させられることになった清子は、島での生き残りをかけ、ひいては島からの脱出をかけ、セックスを武器に、したたかに生きていくのですが、その過程で、それまでには経験したことのない感情を抱く自分自身と向き合うことになります。

 例えば、全ての男たちに対して性的優越と昂揚を覚える自分。

 その時、清子の中に、男たちへの憎しみと共に、たとえようもない優越感が同時に芽生えたことは、誰も知るまい。自分がいるからこそ、男の本能が剥き出しにされるのだ、という。(作中より引用)

 例えば、夫の死後、クジ引きで結婚した男に愛を見出そうとする自分。

 清子はユタカという夫を得て、島で唯一足りなかったものを育む決心をした。愛。(作中より引用)

 例えば、生きることの恐怖にたじろぐ自分。

 清子は床にくずおれそうになった。自分もセックス以外の生きる目的を見付けなければ島でサバイバルできないかもしれない、という生存の根幹が揺るがされた恐怖だった。(作中より引用)

 例えば、父親が誰かもわからない子供を妊娠し、母性愛をもてないでいる自分。

 清子は腹を押さえた。同意するように、胎児が蠢いた。この中に、夢に出て来たような図々しいガキが入っているかと思うと、ぞっとする。清子は、腹の中の子供に対する愛情がまったくないことに、自分で驚いた。(作中より引用)

 彼女は、どんな逆境にもへこたれず、もちうるすべてを武器にして、やがて島の女王へと君臨していきます。そして、島からの脱出にも果敢に挑戦していく。
 なんて、たくましいのだろう。したたかなのだろう。清子になったつもりで読みながら(コスプレしながら?)、わたしは目の前の状況を瞬時に把握し、狡猾に行動していく彼女の一挙手一投足に心臓をバクバクとさせるばかりでした。
 ハッキリ言って、清子の気持ちや言動にはいっさい共感できません。でも、何かがわたしの胸をざわつかせるんです。考えてみれば、清子も島に流れ着くまでは、わたしと同じ平凡な主婦だったんですよね。ということは、ひょっとすると清子は特殊な女性ではないのかもしれない。もしもわたしが同じように孤島で見ず知らずの男たちと暮らすことになったら、わたしも「清子」になっていたのではないか──。そう思うと、なんだか胸の中がゾワッとするのでした。

 この小説をいま振り返ると、一番に思い出される清子のセリフがあります。それは、島での生活のことを、後年、自分の娘に語った時のものです。

「あたしは、あの島の真っ暗な夜空を思い出すと、恐怖と希望の両方を感じるの」(作中より引用)

 そのセリフを思い出すたび、わたしが自分の人生では経験したことのない、おそらくは今後も経験することのないだろう、その恐怖と希望に、なんとも言えない憧れめいた感情を覚えてしまうのです。背徳感にも似たこの気持ちはいったい何なのでしょう──。

「もし世の中が落ち着いて、旅行に行けるようになったら、どこに行きたい?」
 ある日、夫が質問してきました。
 わたしはとっさに答えていました。
「無人島は、どう?」
 すると、夫はぎょっとした顔でわたしを見ました。
 それがあまりに間の抜けた顔で、わたしは思わず笑ってしまいました。もちろん本気で無人島に行きたいと思ったわけではありません。きっとわたしの中のプチ清子が発動したのでしょう笑
 『東京島』は、わたしの知らないもう一人のわたしが暮らす島なのかもしれません。ぜったいに行きたくないような、でも少し覗いてみたいような……。とにかく、わたしにとって忘れがたい読書体験になりました!


 キヨミさん、どうもありがとうございます!
 ぼくも、清子という一人の女性が、特異な状況に置かれ変貌していく様を通じて、「普通」であることの危うさを考えさせられました。また、この作品では、清子以外にも、島に暮らす男たちの内面が丁寧に掘り下げられていて、様々な人物の視点から、物語を眺めることができるのも、この作品の魅力ではないでしょうか。
 文庫本の佐々木敦氏による解説によれば、この作品は当初、全5章あるうちの第1章だけが読み切りの短編小説として発表されたのだそうです。ところが、まだ「続き」があることに気づいた作者が、第2章以降を書き継いでいったことで、現在の長編小説の形になったらしいのです。その経緯からすると、この作品は、作者でさえ想像だにしなかった物語なのかもしれません。そう考えたらなんだかとってもスリリングですね!
 この作品を読んだキヨミさんが、いま無人島にひとつ持っていけるとしたら何を持っていくのか、気になるところではありますが……どうか旦那さんとお子さんといつまでもお幸せに!(船旅で遭難などしませんように!笑)

 それではまた来週。

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