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投稿生活中にやっときゃよかったこと

私は17歳で初投稿、36歳(37になる歳)でデビューしたので、足掛け20年投稿をしていたことになります。

「投稿生活20年」という綾小路きみまろ的パワーワードのためか「夢を諦めないコツは?」といったご質問をいただくことがありますが、いま振り返ってみると「我流でねばるよりほかにやることあっただろう」と思います。

というわけで小説家デビューを目指す方に私を反面教師にしていただきたく、「投稿生活中にやっときゃよかったこと」を以下に書き出します。
また別記事で「投稿生活中にやらなきゃよかったこと」も書こうと思います。

※これはあくまで私の経験に基づくものなので「これをやればデビューできるよ」というものではありません。

投稿生活中にやっときゃよかったこと

プロから教えを受ける

指南本を定期的に読む。小説家養成講座に行けるならなお良し。

SNSをやる

私はデビューが決まってから各SNSののアカウントを取りましたがやはり情報量が違います。

作家志望の友人を作って交流する

モチベーションが維持できる。結果待ちの緊張をわかりあえる。

投稿予定の新人賞の歴代受賞作品をできるかぎり読む

2〜3作は読んでいましたが、もうすこし研究すべきでした。カテゴリーエラーも防げます。

他ジャンルにも目を向ける

ミステリーでデビューするんだ! と決意していても、実はその緻密な取材力はお仕事小説にこそ生かされる…なんてこともあります。

つまるところ

当たり前のことじゃん!と思われる方もいるかもしれません。そうです、そうなのですよ… …。

上記をまとめると、「他者と交流する・技術面を磨く・思い込みの外側を見る=心をやわらかく」ということになります。

「情熱と感性をほとばしらせておけばいつか作家になれる」と根拠のないことを思っていましたが、情熱は猛獣で、技術と他者の目は猛獣使いみたいなものかと思います。その3つが噛み合うと、かっこいいショーが出来上がるのです。

そしてメソッドとセオリーはやはり、無視できないものです。私はデビューしてから上記をやりました。重要なものであったのだと身に染みました。

しかし上記が重要である理由の一番は、 「当たり前のこと」をしっかりやると、自分の中に「残るもの」に気づくことができる、ということです。

どういうことかといいますと。

当たり前のことをやったときに、残るもの

「当たり前のこと」……トレンドや受賞傾向を分析し、作家仲間の感想や助言を受け入れ、指南本等のメソッドを忠実に守って書くと「これ書くの、私じゃなくてもいいんじゃ?」という話が出来上がります。

没個性的な作品となり、書くのがちっとも楽しくありません。

でも、一度それを通ると、「じゃあ私はしんじつ何を書きたいんだ?」という問いが生まれます。
「当たり前のこと」をやるというのは、砂金の採掘場で砂をふるいに入れ、ざばざばと揺らすようなものです。繰り返していくうち、砂が落ちていって、ふるいの中には小さな、キラキラした金が残ります。

砂金を見つける

砂金とはつまり「誰に何を言われても、メソッドが何を示していても、たとえそれに反していても、『私はこれを書きたい』」という自分の核です。
「当たり前のこと」をやると、核を見つけることができるのです。
このことから、メソッド等を最初から無視するのと、メソッドを通った上で採用しないと決めることは正反対のことだとわかります。
(繰り返しますがメソッドもセオリーも人の意見もトレンドを学ぶこともマジで大事なので聞く耳はもつべきです)

私には書きたいものがある

この「私には書きたいものがある」というのは、胸を張って宣言する人もいれば、小さく丸まってブルブル震えながら、やっとのことで胸の内で言葉を結ぶ人もいるでしょう(私もびくびくしています)。

でも、自分の中に砂金を見つけてしまったら最後、腹をくくってそれを書くほかありません。「よくわからない」とか「Not for me」と言われようとも、やるしかないので、やるしかありません。

自分だけがそれを書けるからです。

書いているうちに、かならず共鳴してくれる人が現れます。私はそうでした。だから今も、毎日怖いですが、書いていられます。

手のひらに残った砂金を、手放さない

抽象的になってしまいますが、試行錯誤しながら自分の「砂金」を見つけること。それを手放さないこと。 これが重要なのではないかなと思います。

私も20年、ブレにブレました…。 ブレながら、結局、「私はこれを書きたいのだ」という同じところに戻ってきました。

戻ってきたとき、ブレた行程で拾い集めた花や小石やきれいな葉っぱが、ポケットの中にたくさん詰まっています。そして、試行錯誤の旅に出る前よりも、同じものを書いているようで、違うものを書いているのだと、自分自身でわかるようになります。

だから、デビューしてからも、ブレてます。
そんであるタイミングでハッとして、慌てて砂に埋れた砂金を探す、ということを繰り返しています。
かっこわるいなあ、とその時は思いますが、あとから振り返ると、大事なことであったとわかります。

砂金と混同しやすいもの

ただ、注意が必要なのは、砂金とよく似たものがあるということです。

「私の苦悩をわかって欲しい」
「私の願望を作品世界でだけは実現させたい」

という欲望です。
それを見分けるためにも、メソッドやセオリーや人の意見は非常に重要です。

しかしながら、それらの欲望は吐き出さないかぎりとどまり続けるので、やはりとにかく書くしかありません。

吐き出すために半年間無職となり小説だけを書き続けた人間がここにおりますがそれはまた別の話。

次の記事では、「投稿生活中にやらなきゃよかったこと」について書きます。
主にメンタル面について。 こっちのほうが重要かも。


それでもやっぱり書くのが楽しい

七転八倒しながらもなんとかやってきたわたくし、来る12月1日「文学フリマ東京39」に出店します。

私の砂金を手のひらに握り、本を作っていくのは、なにより楽しく、喜びにあふれるものです。

私の書いたものを、誰かに受け取ってほしい。

このシンプルで、かつ大切な初心を思い出させてくれる文学フリマ。
会場の熱気を浴びるだけでも、モチベーションが上がります。

ぜひ、遊びに来てください。

【文学フリマ東京 39】
📚日時:12月1日(日) 12:00〜
📚場所:東京ビッグサイト(西3・4ホール)
📚入場料:¥1,000
📚出店名:塚本はつ歌
📍ブース位置:え-25
💡無料配布、商業作品もあります!


新作 貝のなかには寝床があって


前回出品作「縁側ごろごろ日和」
20年の投稿生活の中で諦めかけたとき、「書く」ことの楽しさを思い出させてくれた主人公です。


【イベント詳細】
https://bunfree.net/event/tokyo39/

【ウェブカタログ】
https://c.bunfree.net/c/tokyo39/w/%E3%81%88/25

ココにいます。

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