桜によせて
桜の木の下には死体が埋まっている、とR氏に呟いたら例によって
なんなの?それは。
ときました。少しおふざけで、かつ真面目に坂口安吾の詩をとつとつと口にしたのですが。
桜。 桜の花には格別な思い入れがある私なのです。
小さな頃の記憶。神社の境内の桜の木の下でひとり、本を読んでいたことや小学校の時に大雨で倒れていた八重桜を友達みんなで必死で起こして添え木をしていて校長先生からありがとうって言われたこと。中学校のかつてテニスコートだった場所を取り囲むように植えられていた美しいソメイヨシノ。その下を毎日歩いて育ち、大人になってからも過ごした自宅の二階からの借景にその中学校の満開の桜を眺めていて。散った花びらはどこにいくんだろうか、などと毎年それはそれは不思議に思っていました。
娘が産まれた日は桜の開花宣言の日でしたし、産院からの帰り道にタクシーから眺めた満開の桜に思わず涙をこぼしそうになったりしていました。小さな頃からお世話になっていた内科の先生が桜の写真を撮るのが大好きな方で、あちこちの桜の写真を撮影する先生はたまたま散りはじめになってしまった中学校の桜並木を残念そうに眺めていらしたので、「先生、歩道が桜の花びらでピンクに染まっているのを写真にいれたら素敵ではないでしょうか」と差し出がましく提案した私に「それは素敵なアイデアだ!」と喜んでいただいて嬉しくて。
その大好きな内科の先生が別の病院に診察にいらしていて、自分は重大な病を抱えていて、もうじき逝くのだ、だから信頼できる医者に自分の患者のカルテを託して自分の医院は畳まなくてはならない、と打ち明けられ、驚きとその冷静な行動にまるで桜の精が先生を導いたような錯覚を覚えたりしました。
内科の先生はたくさんの桜の写真を残し、逝ってしまわれて残された奥さまが桜を見たらお父さんを思い出してしまい悲しくなるの、とまるで桜を避け、逃げるように毎年、寒い地方に旅行に出かけ、葉桜の頃に町に帰ってきていた切ないお話しも思い出される花でもあるんです。
そして。
最愛の父を送らなければならなかったあの日も、満開の桜、ソメイヨシノの花吹雪の中でした。
桜。
やはり涙を誘う花だったりもしますが。
トップ画像の写真の桜はソメイヨシノではなくて山桜の仲間ですね。ソメイヨシノがたくさん植えられている中に他の品種の桜を混ぜて植えてあり、長く桜を楽しめるスポットがありました。
先日、三月半ばに活け花の小さな展覧会におよばれで行かせていただきました。
元祖活け花というか、活け花の原点(だと思う)の池坊の先生とその門弟の皆さんの作品がずらりと並んでいました。
張り切って着物姿で羽織を羽織ってお出掛けしました。
えー、大袈裟じゃない?きーもーのー?着物着てくの?今時そんな人いるの??
R氏はそう言いましたが、私はきちんとした和装をしてその「およばれ」に行きたかったのです。
会場は小さな公民館。そして季節は春。出迎えてくれたのも桜でした。三月の半ば、ホワイトデーの頃です。
桜の花にはやはり何か、人の心を震わす感動があるようです。
古いお話しですが、第二次世界大戦の時に日本軍の特攻隊の皆さんに、二度とは生きて日本には帰れない、とわかっていて桜の花の枝を一本、学徒動員の女学生たちが涙を堪え、旅立つパイロットに持たせたエピソードには 「潔く散れ!」のメッセージがあったのだろうか、 と泣いてしまったこともあります。
散る桜 残る桜も 散る桜
なのでしょうか。
これは夜、撮影した写真なのですが幹からも小さな枝を伸ばし、咲いている愛しい一枚です。
よく卒業式や入学式に祝辞の枕詞に使われる「桜花爛漫の春」という言葉も大好きです。
・・・その池坊の展覧会には主宰された先生からチケットをいただき、ご招待を受けました。その時、表に飾ってあったのは桜ではなくてスイートピーでした。
入口の瓶いっぱいに活けられていたスイートピーに引き寄せられて、他の先生の展覧会を眺めて写真を撮らせていただいていたあとの私に声をかけてくださり、「お花が好きですか?なんだかあなたは只者ではなさそうね。今度、こちらにもどうぞ」とチケットをいただいたことが嬉しくて。そしてその先生が私を「あの時は洋装で革のパンツにブーツでしたね」と私をしっかり覚えていてくださり、門弟の皆さんにも温かく迎えていただき、帰りにはまだ中学生の女の子がこしらえた青いワイヤーでできた一輪の花をお土産に、といただきました。
それは本当に私の心がまさに「桜花爛漫」に咲いた温かな一日でもありました。
坂口安吾の 桜の木の下には、ってぼんやり呟いた日はその展覧会の帰りに寄り道して写真を撮り、着ていた和服の羽織姿をR氏に撮ってもらった時でした。
なんの意図もなく口にした詩を聞いてR氏はまたきっと、しょーがねーなーって思っていたと思うのですが、写真、撮ってあげるよ、って笑ってくれました。
大好きな桜の下で着物姿で写真を撮ってもらう、っていつ以来でしょうか。
しかも大好きなR氏がホントにたくさんの私と桜の写真を撮影してくれました。
まだその日、ソメイヨシノは固い蕾でしたが、蕾がみっちりふくらんでいて、さあ、次は私たちが咲くからね!待っていてね!と笑っているようにも見えました。山桜はとても綺麗でやっぱり見つめていたら涙が溢れそうになりました。
あと、草履履いて、スタスタ歩いている後ろ姿なんですが。自分自身を活け花に見立てて髪にスイートピーと椿の生花、それにフェイクパールのネックレスを留めて、帯留めにやはり椿の花と鮮やかな緑の葉をあしらいました。羽織が椿の柄でしたから、そしてスイートピーがご縁でチケットをいただいていましたから。
(あわてていたのでワイヤー通していなくて椿の花と蕾が落っこちてしまいましたが)
これを書いている今、ソメイヨシノは三分咲きから陽当たりのいい場所は五分咲きです。(気温が上がったせいか、一気に咲いてきました)
二月末は河津桜。
綺麗な深いピンク色。
裏山にR氏のお母さんも一本、河津桜を植えていらして、その一本の河津桜の下でひとりピクニックをしてオレンジジュースとクルミのパンをモグモグしながら海を眺めていたりもしました。
そして二階の窓からもいろんな種類の桜があちこち咲いているのが見えます。
私にとって桜はやはり、特別な特別な花なんです。
お休みが合えばR氏と2人しておにぎりと卵焼き、サンドイッチこしらえてソメイヨシノを見に行きたいな、って思っています。泣かないようにしないと、ですね。
俺が泣かせているみたいに見えちゃう、ってまた彼を困らせてしまいます。
あと、写真は公開できませんが。
先日、桜並木の舗道で三輪車に乗り、笑う孫の写真が娘から送られてきました。
桜は春を代表する象徴的な花です。
花や樹木、生き物が好きな私にとって春はまた特別な季節です。
・・・今朝、仕事に行くR氏に言いました。
桜の木の下には死体が埋まっているの・・・。
あのね、Rさん、私、死んだら桜の木の下に散骨してもらいたいのよ、と。
え?って顔をして煙草を喫いながら、
貴女はなにを言い出すのかと思ったら朝からそんなことを思っていたの? と、しょーがねーなーって顔をして私を見つめていました。
そう。還元されるの。大地に。地球に。
・・・・・。(しょーがねーなー)
まぁ、いいわ、行ってきます。
行ってらっしゃい!
クルマの窓からいつものように手を降りながら彼は仕事に出かけ、私は薄曇りの空の下、洗濯物を干しながらベランダからの桜を眺め、もうじきやってくる四月の空の下、2人して桜をまたみたいな、でも、R氏との恋が、
桜 散る
にならなければいいな、ってポツリと花びら一つ、頬に涙が落ちました。
ゆー。
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