山口仲美「100分de名著ブックス 清少納言 枕草子」感想
『犬は「びよ」と鳴いていた』の山口仲美先生が担当している、ということで読んでみました。
擬音語・擬態語の研究者というイメージでしたが、古典文学の紹介も、解説が堅苦しくなくて親しみやすい!
現代語訳がちょっときゃぴきゃぴしていて、
「言葉と文学がとにかく大好き!!」
というのが伝わってきます。
一番可笑しかったのは、清少納言の元夫の話。
脳みそ筋肉のタイプだったらしく、今昔物語集にも武勇伝が残っているそう。
枕草子には「ワカメ事件」の顛末が書かれている。
悪い人じゃないんだけど、どうにも野暮で、清少納言と長く付き合うのは無理だよなぁ。
100分de名著は、放送に合わせて発売されるムック版の方が安く、注が本文の下に付いていて便利。
(ブックス版は注が章の最後にまとまっている)
その代わり、ブックス版にはムック版にはない特別章が追加されている。
清少納言と紫式部と和泉式部の文体の違いを実際に例を挙げながら見ていくというもので、これが面白かった!
和泉式部の歌にはレトリック(枕詞や引き歌などの技法)がほとんど使われていない、というのに「なるほど!」と。
だから現代人も表現の壁を感じずに共感出来るんですね。
それに較べると紫式部の歌は恐ろしく技巧的で、散文にも歌語を使ったりする。
源氏物語の世界は、彼女が選ぶ言葉によってきらびやかになっていたんだな、と。
山口先生は清少納言を「感動型ではなく観察型」と表現していて、あっと思った。
私は感動を求めて生きていないのです。
「物語」は感動至上主義なところがあって、ずっと違和感を感じていた。
感動するより、新たな価値観を発見したり、意外なエピソードに笑ったりしたい。
そんな気持ちから、自分で小説を書くくせに、読むのはエッセイの方が多かった。
私も清少納言のように「観察型」を目指すべきなのかもしれない。
観察力ないけど、観察するように心がけることなら出来るはず。
感動と観察だけでなく、韻文(和歌)と散文(エッセイや物語)を書く時の心の持ち方の違いなど、文学に接するたびにぼんやりと感じていた境界が、しっかり見えてきた気がする。
エッセイが好きな人はもちろん、和歌や短歌が好きな人にもおすすめしたい。
古典が苦手でも問題なく読めますので、ぜひどうぞ。