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【TS024】異質なものとの調和力-科学と社会とメディアの事実(後編)-

プロローグ

異質なものとの調和力シリーズ第8弾💣
前回の前編に続く後編(これまでの過去記事は本稿の最後に纏めました🤗)

前回は「トランス・サイエンスと個人心理学」において、科学と社会の関係性について述べたけど、今回は、それにメディアを加えてみようと思います☺️

科学と社会、そして、メディアの事実

前回の記事で、事実と思い込んでいる多くの科学的根拠(エビデンス)は『確率』だと書いた✍️

それをグラフで示したのが、下記の『事実』の正規分布⬇️

少し解説すると🧐
科学は、外れ値(棄却域:🟥)を排除して、採択域(信頼区間95%:🟩と🟨)を事実と見做す
外れ値は、実験で言うところの測定誤差、あるいは実験そのもの失敗として無視する

社会も、基本的には、採択域(信頼区間95%:🟩と🟨)を事実と見做すが、外れ値(棄却域:🟥)の扱いが科学の場合と異なる

科学では、誤差と見做していた外れ値であっても、社会においては、実際に外れ値に遭遇した人は、紛れもない起こった事実として受け取る🎁

どんなに確率が低い事実であっても、遭遇した当事者にとっては、それは100%の確率で発生した事象ということ

99.99%の確率のこうなるだろうという予測(あるいは、裏返して、0.01%の確率でほぼ発生しないだろうという予測)と、実際に発生した100%の事実には
不可知の壁(越えられない壁)が立ちはだかる

そして、マスコミは、その稀な外れ値の事実を報道するのを商売としている
それは、その外れ値がネタとしてウケる・儲かるからである📣

例えば、アキバのメイドカフェ☕️に行って、店内でメイドさんが野良犬に噛まれたとしよう🤔💭

科学では、滅多に発生しない事象としてあまり気に留めないだろう・・・。
一方、その場面に遭遇したBLUEであれば、目の前で実際に起こった珍しい事件として記憶に留めるだろう
きっと、noteでつぶやく🗣️自信がある🤣

だが、マスコミは、この程度のネタでは飛びつかない😳

では、店内に侵入してきた野良犬を、可愛いメイドさんが犬の首に噛み付いて撃退した‼️
そして、そのYouTube動画が拡散されたらどうだろうか?

マスコミは、こぞってそのメイドさんを英雄視して、そのメイド喫茶は取材でごった返すだろう・・・。

ここで言いたいのは、三者三様、悪意のある捏造ではない限り、目の前で起こったことはすべて『事実』と言うこと✍️
そして、その事実に対する反応は、立場が変われば、モノの見方も変わり、反応や行動も違ってくる☺️

みんなちがって、みんないい
金子みすゞ 『私と小鳥と鈴と』より

だから、この三者三様の思考・感情を、ひとつの型に嵌め込むのは、土台無理ゲー

やはり、外れ値という異質なものを認めて、『異質そのまま』に寄り添い、
共感しようとすることが大事かと

ここで、『しようとする』の意味は、理想的なことを言ったところで実社会の荒波🌊に抗えないことも多い💦
だから、気負わずBaby Stepで前に進めたらと思う

まずは社会全体の7割、いや最初は3割でも
そのようなマインドを持つ人が増えると良いのかも☺️

異質を『異質そのまま』に寄り添い、共感する
それが、異質なものとの調和力、コミュニケーション

寄り添いとは、例え家族であってもお互いのパーソナルスペースを
担保したうえで一定の距離感を保つイメージ

白紙で共感とは、相手の関心に関心を寄せて
相手の関心の波に自分の関心の波が共鳴すること
その共鳴の感動・居心地良さを
そのまま相手に伝えることが白紙で共感

特に、『白紙』の意味するところは
相手の関心に『判断・評価・分析』はしないと言うこと

異質なものとの調和力シリーズ(過去投稿記事)

第1弾💣【TS002】異質なものとの調和力
第2弾💣【TS006】異質なものとの調和力-人間力-
第3弾💣【TS007】異質なものとの調和力-白紙で共感-
第4弾💣【TS020】異質なものとの調和力-共感と同意の違い-
第5弾💣【TS021】異質なものとの調和力-noteコミュニティ-
第6弾💣【TS022】異質なものとの調和力-コミュニケーション-
第7弾💣【TS023】異質なものとの調和力-科学と社会とメディアの事実(前編)-

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