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偉くなるより評価されるよりも、目の前のこの人、に誠実でありたい。

今週は随分バタバタしていて、おまけに今日は凹むこともあった。
それでも牡牛座が最下位じゃないのを確信しているのは、あいも変わらず、周りの優しさが確かにあるからです。

徒党を組めない。忖度できない。
周りにどんなに評価されるよりも、ただ目の前にいるこの人にいかに誠実であれるか、そのことの方が大事なんだ、と。
相談の仕事、専門性の只中に放り出された丸腰は、ただただそのことだけは一つ踏みとどまろうと、23歳のあの時に決めて。それから10年以上が経って、それなりに経験を積み、学び、そして今があって。
今でも、ただ一人のこの人に、いかに誠実であり続けられるか、が、私の折れそうなピンヒールを揺るぎなく支えている。

経験が長くなると。あるいは、集団が大きくなると。もしくは、知識が深まると。
不思議なもので人間の中に「高慢」が見え隠れし、人々は支配し、支配されようとする。正しいものと正しくないものを生み出して、正しくないものを正そうとして、争うものを排除する。この力の循環は、私たちが向き合う、「ケース」と呼ばれる傷ついた人々を産んだ、その循環と同じものなのに、それはとても甘美で麗しく映り込み、人の心に滑り込む。
それに犯されることを、心のどこかで否定し、同じ心のどこかで狂おしいほどに望んでいる。

怖い。

踏みとどまれるのは、紛れもなく、今まで出会ったたくさんの「ケースと呼ばれる家族たち」です。
狂おしいほどの甘美な支配の渦に落ち込もうとするたびに、私の手を取って、「留まれ」と伝えてくれるのは。
「私たちも、その渦から、ここまできたんだよ」
「私たちは、ここに、留まっているよ」
そう言われているようで、その度に、その渦に落ちまいと気張れる。
支えられている、といつも思うのです。

今日も、凹むことと同時に、そういうことがあって。
つくづく、支援という言葉が嫌いだと思いながら帰路につき。
誰がなんと言おうと、私は、「共に生きる」ことを為事にさせてもらっているんだと考えながら。

折れないで、しなやかに。
低くてもいい、飛び続けようと、思ったのでした。

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