201miho

自分の人生と誰かの人生と。一緒に歩んできた中に想う、日々の徒然。少しほっとする、201号室、私の部屋。→→→社会福祉士/精神保健福祉士/公認心理師/38歳の、女性/令和6年10月から秩父にて二拠点生活。【エッセイ】

201miho

自分の人生と誰かの人生と。一緒に歩んできた中に想う、日々の徒然。少しほっとする、201号室、私の部屋。→→→社会福祉士/精神保健福祉士/公認心理師/38歳の、女性/令和6年10月から秩父にて二拠点生活。【エッセイ】

最近の記事

  • 固定された記事

ようこそ、こちら201号室、Mihoの部屋。

 はじめまして。  今日からnoteを始めました、Mihoです。  少し、自己紹介をさせてください。  私はソーシャルワーカーという、日本ではまだ聞きなれない仕事をしています。誰かの人生に伴走して、その方が自己実現しながら生きるために世界の調和をはかる、そんなお仕事です。  ずっと携わってきたのは、子どもと家族に関わる現場で、気がつけば現場の最前線はもう後輩ばかり、という年齢になってしまいました。  この仕事を続ける中で気がついたことは、子どもの成長には「安心な居場所」が

    • 指輪にまつわるエトセトラ

      結婚指輪がお店に届いたとの連絡を受け、色づく里山の木々の中を車で小一時間ほど走らせて隣県まで受け取りに行った。 今年は紅葉が例年より遅く、11月下旬に入ろうとしてようやく秋めいた山の様相に変わりつつある。 アクセサリーを普段つけない私たちは、婚約指輪を買うことはなかったけれど、なんとなく「結婚指輪はつけたいね」と話になった。 「べき」とかではなく、なんとなく2人でそういう話になって、誰に何を言われることもなく、自分たちの好きな指輪を2人で話しながら選ぶ。 「そういうものでし

      • 素材のはなし。

        畑をやってる彼の友だちから、バターナッツかぼちゃをいただいた。 以前、あの瓢箪みたいな形と謎にお洒落な名前に興味があって試しに買ってみたのだけど、緑色のごつごつした皮のかぼちゃと同じように調理して、盛大に失敗。 水分量や皮の硬さなど、普段慣れ親しんだかぼちゃと扱いが全然違うことを思い知った。 今回は、折角いただいたもの。 美味しくいただきたい。 以前、撃沈しながらも、半分残ったかぼちゃを、レシピを調べてポタージュにしたらそこそこ美味しかったから、またそれにしようかと思い

        • 妊娠・育児休暇と社会的孤立について

          先日久しぶりの都内にて。 仕事を通じて仲良くなった4人で昼下がり、美味しいケーキを楽しんだ。 4人のうちに、私の他にももう1人、もうすぐ出産を控える子がいる。 私は体調のこともあり、年休を追加して仕事を少し早めに休みに入らせてもらったが、彼女はぎりぎりまで働いていたそうだ。同じ職種、大変さが理解できるだけ、純粋に感服した。その時に彼女が話していたことが印象的で、ここ一週間そのことをくるくる考えている。 仕事がすごく好きとか、そういうことじゃないの なんていうか、「とりのこ

        • 固定された記事

        ようこそ、こちら201号室、Mihoの部屋。

          二拠点生活を通じて考える「しあわせ」

          窓を開けると晴れ渡る空に、武甲山が見える。 ここに住む人々にとっては当たり前の光景なのだろうが、私にはカーテンを開けるたびにそれが新鮮に映る。 結婚して、生活の中心拠点が秩父に移ってから約1ヶ月。朝晩の冷え込みも、これから深く厳しくなっていくのだろう。 仕事が休みに入り変わったことは、時間的な余裕とそれに比例して衣食住にかけられる時間の増加。圧倒的に変わったのは食生活。 インスタントの汁物が、野菜をたくさん使った味噌汁に代わり、副菜が食卓に一品二品並ぶようになった。 多分

          二拠点生活を通じて考える「しあわせ」

          2年ぶりに、結婚した。

          夏の真っ只中に始まって、夏の真っ只中に終わった、1回目の結婚生活だった。 始まりの夏から十数年の歳月の間に、私は学生から母になり、社会人になり、1人の女性となった。 決してマジョリティをなぞる人生ではなかったけれど、それはそれでどうしようもなく自我を持たざるを得ず、そこに迷いはなかった。迷っていたら、片っ端から大切なものを失いそうで、そうあらねばならなかったのかもしれない。 離婚して、子どもたちから離れ、1人となって、それはそれで、やはりこの日本の「大多数」から外れた生き方だ

          2年ぶりに、結婚した。

          児童福祉司、面接、ソーシャルワーク。

          児童福祉司ってなんだろう。 子ども家庭ソーシャルワーカーの資格を巡る諸所の経過を他人事のように眺めている。 あたりまえか、その議論の渦中に、当事者の姿が見えないのだから。 いつだって人間(ヒト)は、他人(ヒト)の畑を耕すのに忙しい。 先日請け負った研修のテーマ 児童福祉司のおこなう面接、その大切なこととはなんだろう。 この仕事 深刻度と影響は違う 影響がどのくらい今出ているかは見える 深刻度は内部障害みたいなもの 痣できてるけど元気だし、が下手したら何年も後に倒れたり 私

          児童福祉司、面接、ソーシャルワーク。

          大切にされた、感触。

          17歳だった。 女子高生だった。人数のいない陸上部、友だちと戯れあって、土日は昼過ぎまで寝て。 17歳だった。 弟妹たちの心配をしていた。両親のいる家の中に安心がなかった。早く大人になりたいと願っていた。 風の中に溶けるようにさらさらと、指先から流れるように消えてしまいたい。 同時に、いつだって明日が来ることを信じていた。 17歳だった。 多分、その日が限界で。 馬鹿みたいに晴れ渡った美しい朝、 私は初めて、熱がないのに学校を休んで部屋に閉じ籠り。 そんなことで私の欲

          大切にされた、感触。

          ソーシャルワークについての独り言

          ソーシャルワーク(SW)について、時代ごとに定義が異なります。 正直、何をくさいこと言ってるの、と笑われてしまうから言わないんですけど、私はSWは「愛」だと思っている。 今は「スキル」とか、洗練された技術として表現されて、その専門性の担保というか、そういうものが進んでいると思うんですけど、もっと古くには「アート」と表現した時代もあったようで、そういう方が、なんというか、色気があるな、と思うんです。 色気って、人間味、みたいなもんで、なんていうか、混じり気というか、ある意味不要

          ソーシャルワークについての独り言

          ミュージカル、レ・ミゼラブルの、回想。

          高校は女子校で、それも良いところのお嬢様が集うような学校だった。 いつだってどこかアウトローを外せないけれど、私も確実に「お嬢様」なわけで、それはそれでひどく滑稽だった、10代後半の頃。 その高校はミュージカル「レ•ミゼラブル」を毎年文化祭で上演する同好会があって、縁あり私も一年間だけ携わっていた。 プロの演技を観たくて、同好会のメンバーは親にもらったお金で帝劇に足を運び、日傘をさして並び手に入れた当日券の立ち見席で観劇に耽り、帰路はその歌唱力を語り合うのだった。 私が感じ

          ミュージカル、レ・ミゼラブルの、回想。

          女、36歳、家を買う。

          今の住まいを購入したのは一目惚れに近い衝動で、だけどぞっこんで好きになっちゃったんだからもう仕方ないかと思っている。 不動産を買う、ということは、人生を決める、ということだ。 少なくとも、私にとってはそうだった。 大好きな親しみある土地に、幼少の頃からある、趣ある佇まい。 そこに自分の拠り所がある。 ただそれだけ。それだけで、心底安らぐ。 離婚して正式にフリーになって、36歳。 若くはないけど、まだ出産を望める年齢。 これから結婚するかもしれないし、子どもを産むかもしれ

          女、36歳、家を買う。

          ソーシャルワーカーというしごと

          ソーシャルワーカーという仕事を、生き方としてさせてもらっている。 この仕事の難しさは、踏み留まるべき処で踏み留まれるか、ということで。 それができるかは、人生に伴走するソーシャルワーカーに胆力がどれだけあるか、が肝要だと心底思う。 その人の人生にとって、踏み留まるべき処に在り続ければ、必ずそれを支える信頼という繋がりが生まれるのですが、 それまでがしんどい。 積み木崩しになると、特にしんどい。 そのしんどさの中にあるから、踏みとどまれずに傷つき傷つけることを繰り返してし

          ソーシャルワーカーというしごと

          誰かと住まう、変わりゆく家族の形と他者との関わり方。

          66の母と会うと、このところ「断捨離」と「おひとりさま」の話ばかり。 もっぱらの母の悩みは「一人暮らしの気楽さ」と「一人でしか生きられない劣等感」がテーマだ。 母の生きた時代は、核家族化と夫婦ご一緒、がしあわせの形、という強烈な社会の刷り込みがあったから、そこに染まれない母は随分気苦労あったことだろう。 かくいう娘も、気楽なおひとりさまで、のんびり過ごす休日、淹れたてのコーヒーが何よりもの幸せなもんだから、困ったものである。 母は先日上野千鶴子先生の出ていた何某の番組を観た

          誰かと住まう、変わりゆく家族の形と他者との関わり方。

          偉くなるより評価されるよりも、目の前のこの人、に誠実でありたい。

          今週は随分バタバタしていて、おまけに今日は凹むこともあった。 それでも牡牛座が最下位じゃないのを確信しているのは、あいも変わらず、周りの優しさが確かにあるからです。 徒党を組めない。忖度できない。 周りにどんなに評価されるよりも、ただ目の前にいるこの人にいかに誠実であれるか、そのことの方が大事なんだ、と。 相談の仕事、専門性の只中に放り出された丸腰は、ただただそのことだけは一つ踏みとどまろうと、23歳のあの時に決めて。それから10年以上が経って、それなりに経験を積み、学び、

          偉くなるより評価されるよりも、目の前のこの人、に誠実でありたい。

          嫌われても、まぁいいか。

          不思議なもので、最近人に好かれてなくていいや、が自然体になった。 攻撃されるのは、今も嫌だし、好き好んで嫌われたいわけじゃないんだけど。 今まで頭で考えていたことが、ストンと急にそうなった。 それは自分が成長した、とか、「自分軸で生きるの」みたいなキラキラした感じというよりも…なんですかね、体力の衰えというか。とにかく、だるくて、面倒くさい、だからもういいか、みたいな、そんな、感じ。 だから、20代でぐるぐる足掻いて、30代前半、必死こいていた自分に、ちょいちょいと肩を叩

          嫌われても、まぁいいか。

          自分のことが、一番わからない。

          昨日カサついていた唇に、朝起きたら口唇ヘルペスがわんさかできていた。 体が、弱っているの。だけど本当に無自覚で。 振り返ってみると、年末年始をコロナで休んだ分の仕事が押せ押せになっていて。乱発するイレギュラーと予定外。おまけに大きな会議もあったところで。 「大丈夫ですよー」は強がりではなく本音だったんだけど。 「大丈夫じゃないよぉ」と体は素直に表してくれていたのでした。 過集中してしまうのは悪い癖で、気づきがあるとワクワクが止められなくていつまででも取り組んでしまう。 そ

          自分のことが、一番わからない。