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3月の終わり、最後に参列した葬儀のことを思い出す。

最後に葬儀に参列したのは、父のご友人のお通夜だった。

正確に言えば、最近父方のひいおばあちゃんが亡くなったのだけれど、コロナ禍の影響と遠方であったことから、葬儀には参列していない。


父の職場に時おり訪れていたご友人は、幼いわたしとも気兼ねなく接してくれる、心優しい男性だった。

わたしもだいぶ幼かったので記憶が定かではないが、配偶者もお子さんもいらっしゃらなかったように記憶している。

だが、子供のわたしに臆することなく、慈愛の心を持って接してくれるご友人のことを、とても印象的に覚えていた。


そんなご友人が、突然亡くなった。

交通事故に巻き込まれ、あっという間に亡くなったそうだ。


当時中学生だったわたしは、死というものに敏感になっていたこともあり、いまだにその時の衝撃を覚えている。


見慣れない土地の畑道を通り抜けた先で葬儀はおこなわれ、葬儀のあとも父はたびたびお墓に花を添えにわたしたち家族を連れて行っていた。

ご友人のゆかりの地に近い観光地や娯楽施設に足を運ぶことが多かったのも、父の心境の変化が見て取れる。


父は、突然のご友人の死をどう思ったのか。

人前で涙を流すタイプではない人間なので、父が泣いている姿は見たことがない。


でも、これらの父の行動は、ご友人との別れを惜しんでいるように感じた。




この時期になると、ふとそのご友人のことを思い出す。

ご友人の命日付近には、父が家族を引き連れてお墓に花を添えに行っていた、ということもあり、どうしても思い出してしまうのだろう。


実は、ご友人が亡くなった後、少し不思議な出来事があった。

実家のリビングの窓際でひなたぼっこをしながら妹と遊んでいた時、ふとベランダに設置されている竿に、1羽の鳥が止まっていることに気が付いた。

普段、ベランダに鳥が侵入してくることなんてなかったので、とても驚いたことを覚えている。


人の気配を感じ取っているはずなのに、臆することなく竿に止まり続ける鳥を見て、わたしたちはにわかに声を弾ませる。


「ママ、鳥がベランダに止まってるよ!」


母もいくぶんか好奇心をにじませた顔で、近づいてくる。

鳥はわたしたちの姿を眺めながらしばらく竿に止まっていたが、何分か滞在した後満足したのか飛び去っていた。


「なんだったんだろうね~」と言葉を交わしたのち、母は家事の続きに、わたしたちは遊びの続きに戻ったのだけれど、わたしはその鳥に何か奇妙な違和感を覚えていた。


もしかして、ご友人が鳥の姿になって会いに来たのではないだろうか。

母にそう伝えると、「確かにそうかもね」とほほ笑んだ。

よく考えてみると、確かご友人が亡くなられてから49日の間だったと記憶している。


偶然にも、ご友人の苗字は、「鳥」にちなんだ苗字だったのもあり、妙に納得してしまった出来事だった。


父は、その鳥に会えたのだろうか。

その後も、父の店に迷子の鳥が迷い込んできたこともあるなど、何かと鳥に関連するイベントが起こっていたのだけれど、ご友人のいたずらだと思うと少し面白いな、と感じた。


スピリチュアルなことはわからないし、関係があるかどうかわからないけれど。

ご友人がどうか、広い空で自由に飛び回っていることを願っている。



投稿するのは少し遅くなってしまったのだけれど。

彼の命日に、弔いの気持ちと祈りを込めて。

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