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68.春眠に限らず暁を覚えず

私は睡眠時間が足りないとすぐに体調を崩す。
体調を崩すというか、充電切れのように身体や思考が働かなくなってしまう。母から聞くには乳幼児期から本当によく寝る子だったそうで、夜泣きが少なく随分と楽をさせてもらったけど、あまりにも起きないので心配にもなったというくらい。一度、あまりにも「眠い、眠い」と言っている私を心配した友人から勧められ、血液検査を受けたが異常はなかったということもある。おそらく体質、ロングスリーパーというものに属するのだと思う。(日に7時間〜8時間の睡眠時間を確保しなければどこかで充電が切れてしまう)


数年前までは、一時的な残業過多や飲み会など多少の無理は乗り越えられていたのだけど、それらがなくなった今の生活ではもう身体に無理が利かなくなってきたことを感じる。本当は深夜二時~三時頃の静寂に包まれた空気感が好きだし、その中で黙々と作業を続けられたら創作意欲も広がるような気がするのだけど、今では起きていられる自信がない。長引いた飲み会、始発電車を降りて家までの帰路で見た、徐々に日が昇り薄紫色に染まっていく空のことや、友達との長電話で気付いたらカーテンの外が明るくなっていた時の背徳感と眠気、なんだかどれも懐かしい。

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先日も夕食後、片付けや細々した用事を済ませて落ち着いた途端、暴力的な睡魔が襲ってきた。こうなればもう起きて無理をするのはやめよう、睡魔に従っていつもより多めに寝ることにしようと、諦めがつく。睡魔に支配された頭の片隅から、もう少し起きて用事がしたい、本が読みたい、もう少し書き進めたいのだけど……、と微かな自分の声を聞きながら、気付いた時にはもう朝だったりする。ちょっと昔は「睡魔に負けまい!」と、濃いめのコーヒーを飲んでみたり、覚醒効果のあるドリンクとして売られていた眠○打破なんてものを飲んでみたり、活動時間を伸ばそう伸ばそうと必死だった時がある。だけど今は、環境に許されていることに甘えて、寝れる時は寝る、睡魔に従って寝ることを優先させている。眠りながら用事ができたらいいのに、と思いながら、ちゃんと寝る。それでも焦る気持ちがなくなる訳ではないので、これもひとつの体調コントロールなのだ、と言い聞かせて。

唐の時代に活躍した中国の詩人・孟浩然の漢詩『春暁』より、「春眠暁を覚えず」という有名な冒頭がある。昔から厳しい冬が過ぎ去り、来る春は麗らかで気持ちがよく、うつらうつらしてしまう心地は今と変わらないのだなぁ、と思いを馳せる。だけど私は、春に限らず年中うつらうつらしてしまうのだ。

おわり

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