機能価値と存在価値
底上げキャンプに参加し、出会った数々のあたたかい言葉の中でも、1番印象に残っている考えがあります。
それがこの、機能価値と存在価値という言葉、考え。
そもそも底上げキャンプとはなんだ?という方はこちら。
私自身がずっと抱えてる生き辛さや言語化できないモヤモヤを、見える形にスッキリさせたくて、参加をしました。
そして23歳、社会人6年目となり、なかなか立ち止り、自己内省する機会もなかった。ましてやコロナ禍で対面で会話をする機会が減り、安全基地となる場も減っていた。
なので、今の私がとても求めて場所と時間でした。
キャンプ中に参加するまでの気持ちや、キャンプ中の思い出など、書き残しておきたい事は沢山あるけど、長くなるので今回は割愛。
1番書き残しておきたいこと、そして同じように悩んでいる人が居たならば、その人に届けたい。
そう思えた考えと出会えたので、書いていきます。
機能価値と存在価値
6日間あるキャンプも5日目に差し掛かった朝。
みんなは割とスッキリした顔でいるように見えた。
私はまだ何も手に取って置きたい言葉や考えを見つけられず、焦っていた。
ずっと抱えていた、何かよくわかりにくい生き辛さ。
やはり言語化できないままなのかな、と。
そんな焦りの中始まった5日目のワークは、1人の人と90分間話すという内容でした。
そこで私が話したのは矢部さん。そう、あの、底上げの矢部さん。
高3のときにマイプロに参加し、山形の芸術工科大学で行われた合宿に参加し、見かけた矢部さん。
そのときは全然話せずだったけど、社会人になり、B-action(ばくしょん)というプログラムでまた再開した。
そのときも何か消化不良気味だったわたし。
矢部さんともう1度向き合い、対話したい。
そう思っていたので、キャンプ5日目にして向き合う時間が取れて嬉しかったなあ。
そんな気持ちで始まった90分の対話時間。
私は、嫌われることが怖く、気を回しすぎて疲れることが多々ある。
逆に言えば、気を使えるほうなので、周りからは良い子と扱われがち。
「気が使えて良い子だね」
「発言とかすごく頭がいいね」
そう言われるたび、何も出来ないと嫌われてしまうんじゃないか。
素の自分では、誰からも必要されない。
そう感じてしまうことが多かった。
さらに私は自分の外見が昔から凄く嫌いだった。
「かわいいね」
そう言われても、化粧している自分がかわいいのであって、作られていない私はかわいくない。むしろかわいいって言ってもらい続けらるように、努力しなければ、、。と苦しくなる。
愛情ある言葉をもらっても、逆のことを考えて怖くなってしまう。
素直に愛を受け取れない自分が苦しかった。
そんな悩みを話していたら、矢部さんからこんなことを言われた。
「機能価値と存在価値って知ってる?」
知らなかった。
「機能価値っていうのは、その人が出来ること。例えば運転ができるとか、気を使えるとか。
僕は底上げに領収書1枚提出するだけでも、とても迷惑をかけちゃうことが多い。予定調整も苦手。
だけど、矢部さんに会いたい!と連絡くれる人が沢山居る。自分という存在に会いたいと言ってくれる。
これが存在価値。」
自分は機能価値は低いけど、存在価値が高いんだと思う、と矢部さんは言った。
なるほど、存在価値が高いと自己肯定感が高めに生きていけるのかな、と思った。
つまり、私は矢部さんと真逆。
嫌われたくないという恐怖心から機能価値をあげ、周りからは頼りにされる存在になった。けれど、何かが出来る自分は必要とされるけど、そうじゃない素の自分は必要とされていないと感じる。
つまり、機能価値は高いかもしれないが、存在価値がとても低い。
むしろ高さのギャップがありすぎて、余計自己肯定感が低くなる。
「どうしたら存在価値はあがるんでしょうか?」
そんな問いができた。
すぐにはわからなかったけど、方法論がなんとなく見えた。
いままで抱えていた言語化できない生き辛さを、手に取れるものとして言語化された気がした。
周りを見ても、悩みの底に沈んでいるのは、機能価値と存在価値に繋がっているように思えることが多々あるように感じた。
私は、私を機能価値として必要としてくれる人よりも、存在価値として愛してくれる人を大切にしたい。
そして、大切な人達にもっともっと愛情を沢山注ぎたいなと思う。
そんな大切なことを改めて底上げキャンプに参加し実感した。
今年の夏、私が生活を営んでいる地域でもキャンプを開催します。
もし必要としている人がいれば、どうか、届きますように。