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『行動力』でチャレンジし続ける人生(20代・男性)

1. 流れで始めたプロゴルファーへの道

スポーツが大好きな父親の影響もあり、小学生の頃はサッカーとボクシングをしておりました。運動神経もよかったのでどちらも大好きでした。ですが小6の夏、私の人生が大きく変わる出来事がありました。「世界に通用する日本のプロゴルファーを育てる」をコンセプトに掲げるゴルフ英才スクールのドキュメンタリー番組を見た父親が私をそのスクールの面接会場に連れていったのです。

まったくゴルフをやりたくなかった私ですが、面接官でもあるスクール創設者に「小僧、プロゴルファーになりたいか!」と言われ、小6ながら空気を察した私は「プロになりたいです」と言ってしまったのです。それからプロゴルファーを目指す毎日が始まりました。私の最初のターニングポイントです。

スパルタで有名な塾でしたが、ともにプロを目指す仲間に恵まれ、つらくも楽しい毎日でした。中3の夏ごろからプレーのレベルも向上し、全国大会にも出場できるようになったことで、いくつかの高校からお話をいただき、県内のスポーツ校に進学しました。入学当初は好調でしたが、高1の冬頃からスランプに陥り、レギュラー落ちも経験しました。そのタイミングで自分の練習方法を見直し、フィジカルトレーニングも取り入れ高2の夏の試合に照準を合わせました。その試合で4位に入ることができ、両親も部活の仲間も喜んでくれてうれしかったです。全国大会では井の中の蛙であることを思い知らされたのですが(笑)。

その後はトッププロも参加するトーナメントに出場できたり、県大会で優勝もできたので、神戸の大学から全額特待という条件でお話をいただき、進学を決意しました。
ですが大学時代は個人戦で一度も全国大会に出場をすることができませんでした。関西地区はレベルも高く、私自身これまでのような順調なレベルアップとはいいがたく周囲のレベルについていけなかったのです。
ですが、自分のプライドを守る程度の活躍はできてしまっていたのも事実です。
後の日本一になるプレーヤーを倒したり、プロのトーナメントに出場したりと、ぎりぎり面目を保つ程度の活躍を定期的にしてしまったことで、立ち止まってしっかり考えず、落ち込む時間を作らず、のらりくらりと過ごしてしまいました。プロの世界で通用するほどの実力に持っていくことができなかった私は夢をあきらめ就職することを選びました。

振り返って思うのは、そこそこで満足してしまう性格が、更なる飛躍の足かせになっていたのだと思います。「もったいない」を周囲の人間に言われ続けてきた意味が今ならよくわかります。

2. 前例のないチャレンジをした新人時代

東京の会社に就職することになりました。切り替えの早い性格だったので、プロになる夢はきれいさっぱり忘れ、心機一転頑張ろうと思っていました。
とはいえ、小6からプロゴルファーになることを夢見てきた人生だったので、人生の軸は無かったと思います。また人を笑わせることが大好きだったので、同期の仲間とふざけまくっておりました。目立ちたがり屋だったので、どうやって注目を集めるか?そんなことばかり考えておりました。1年目は「会社に遊びに来ているのか?」と噂になるほどにふざけていたので、問題児だったと思います。

2年目は仕事でノルマも与えられ、それに加え後輩3人の面倒も見ることになりました。もともと後輩の面倒を見るのは好きでしたし、素敵な性格の後輩たちだったので、それはもう盛大に甘やかしました。こいつらにずっと慕われたい。そんな不純で素直な気持ちがモチベーションだったと思います。そんな2年目の秋、一人の後輩と飲んでいるときに電撃が走りました。「全社員の前でコントしたい。俺のセンスを見せつけたい。」と思ったのです。

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