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嫌われる勇気 No34 神器:他者信頼

おはようございます。今日も、嫌われる勇気。

No33で示した、自己受容、そこでのキーワードは肯定的なあきらめでした。そこにどこか悲観的な匂いを感じ取った青年に…

あきらめの定義

「あきらめという言葉には、元来”明らかに見る”という意味があります。物事の真理をしっかりと見定めること、それが”あきらめ”なのです」と哲人は言います。

結構深いですね。「あきらめが肝心」とか言いますが、それは、とことんそれについて考え抜いて、そのことについて明らかにしてみて初めて見える境地。

わたしはある組織に長年属してきました。そこで様々なことを教えてもらい、もちろんお金と時間をかけ、資格を取り、更に研鑽をしてきたつもりです。しかし、今、その組織に居続けることをあきらめようと思っています。それは、もちろんより大きな共同体の声を聴くためであり、共同体感覚へ至るプロセスであると思っています。

きついですけどね…

他者信頼

その言葉を聞いて、「他者を信じるということですか?」と問う青年。いい感じの問いかけ。当然、哲人は深い考察を与えます。まずは、アドラー心理学における信用と信頼の区別

信用:条件付きの関係。ある担保を必要とし、その担保の価値に対してそれに見合う分だけを貸し出す。例)クレジットカードにおけるその人の社会的立場や地位など

信頼:対人関係の基礎。他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけないこと。例)相手に裏切られたとしても、それでもなお信じ続ける態度

これを聴いた青年は、「そんなもの、頭の悪いお人好しですよ!~赤の他人を無条件に信じたところで、利用されてお終いです!」と、青年らしい主張。

では、もし逆の立場だったら、哲人は言います「無条件に信じ続けてくれる人がいる。~そんな人に対して、あなたは何度も背信行為を働くことができますか?」と、青年は言いよどみます。

信頼の対義語

それれは、「懐疑です」と哲人は言います。そして仮定します、「仮にあなたが、対人関係の基礎に”懐疑”を置いていたら」と。「あなたが疑いの目を向けていることは、相手も瞬時に察知します。~そこからなにかしらの前向きな関係が築けると思いますか?われわれは無条件の信頼を置くからこそ、深い関係が築けるのです」。

そして、ここでも課題の分離が登場します。無条件の信頼を疑い、誰かをそのように信頼したところで、裏切られるだけだ、と思う青年。しかし、「裏切るのか裏切らないのかを決めるのは、あなたではありません。それは他者の課題です」と哲人は言い、更に続けます。

信頼することを怖れていたら、結局は誰とも深い関係を築くことができないのです」と。

実体験として、「この人は、わたしを都合の良いように使っているのでは?」と懐疑してしまったこと、皆さんはありますか?私は、たびたびあります。その関係は、その後どうなりましたか?私の場合は、十中八九破綻しました。

感情の置き場所

「先生の議論は、いつも感情を置き去りにしています!」と訴える青年。確かに、信頼していて裏切られたら、悲しいし、憤りを感じる。

哲人は言います「悲しいときには、思いっきり悲しめばいいのです。痛みや悲しみを避けようとするからこそ身動きが取れず、誰とも深い関係が築けなくなるのですから」と。その上で、

「われわれには、信じることができます。疑うこともできます。そして、われわれは、他者を仲間と見なすことをめざしています。信じることと疑うことのどちらを選択するか…」

さて、みなさんは、どちらを選択しますか?

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