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一般サラリーマンによる自分の生き方を貫くための起業決意

ある日直属の上司に言われた。
「お前の家族のことは人事に考慮しない。家族帯同は認めない。」
今でもはっきりと覚えている。

当時私は海外で単身赴任をしていた。子供たちが小さいこともあり、今後の人事について相談していた時のことだった。前提として海外への家族帯同は会社規定で明確に認められていた。そして家族が第一優先だった私には受け入れられない言葉だった。

聞いた時は悲しみや驚きという感情というのは無く、むしろあっけにとられたというのが正直なところだった。

もともと会社に対しては不満が多かった。石を投げれば当たるゴマすり人間。圧倒的能力不足な上司たち。時代に逆行した会社独自の謎ルール。人事制度の機能停止。カタツムリのように遅い意思決定。

大学を卒業して約12年もの期間この会社で働いたなかで、日々少しずつ絶望という藁を背中に乗せられていたのかもしれない。

ただ同時にこう思った「なんでこの会社にいるんだ?」「この会社を選んだのは自分じゃないか?」「労働者側には辞める権利があるのになぜ使わないんだ?」と。結局会社に甘えていたのは自分だった。現状を変えることができないことを誰かのせいにしてた。

私は相談後すぐに「退職届」を提出した。

普通の人であれば良く考えるだろうが、私のスタイルは常にこのようなものだった。決断はそれほど重要ではなく、決断のあとに何をするかがよっぽど大事だということをこれまでの人生の経験上深く理解している。

上司からは退職までの猶予期間を求められた為、後任が見つかるまで5カ月もの期間をその会社で過ごした。感覚的には2年ぐらいに感じた5カ月だったが、この期間で「転職」「起業」の2択で悩みに悩んだ結果、私は「起業」という道を選んだ。

最初は転職サイトに一通り登録してみた。そして企業やエージェントから届くメッセージに目を通していた。手前味噌ではあるが、前職では部内営業成績ナンバーワンを7年連続で獲得していたことからも、届くメッセージはどれも魅力的で給与的にも申し分ないものだった。ちなみに退職届を出した時の私の年収は1000万円を余裕で超えていた。

それでも「何か違う」という感覚がぬぐえなかった。その理由は「ほかの会社に行ってもおそらく自分の理想的な環境は整えられない」と確信していたからだと思う。待遇や給与、肩書というものの優先度合いが私の価値観において相当に低いのだとも気がついた。

最初の2カ月で「転職」という選択肢を捨て、「起業」という道を選ぶ決断をした。残りの3カ月を起業に向けた準備に充てた。決断したといっても、生まれたての小鹿のように恐怖に震えながら選択したという感じだ。その決断を未来の自分が正解にしてくれると信じていたが、家や車を買うときよりもプレッシャーは圧倒的に大きかった。

ただ一言で「起業」といっても色々な形があった。個人事業主、合同会社、株式会社、それぞれのメリットやデメリットをあらゆる情報源から収集した結果、私はいきなり「株式会社」を設立することにした。

その理由は大きく分けて3つ。
①社会的信用を得やすい。
②資金調達しやすい。
③売却しやすい。

①については前職で取引していた取引先に対して聞き込みを行い、最低限の取引条件を確認した結果、「法人」でなければ取引できないという前提が多く出てきたからだ。正直なところ合同会社でもよかった。しかし株式会社という形式が日本人には馴染みがあり、信用力があるとの意見も多くあったため、将来的に合同会社から株式会社に変更する手続きの手間を考えた結果、最初から株式会社を選んだ。

②株式発行によって資金調達が可能であり、過半数を握っていれば経営権を奪われることがないという点が合同会社や個人事業主と異なる点である。企業が大きくなることを考えた時、やはり資金面でサポート頂く必要性が出てくると考えたため、株式会社にするメリットを感じた。

③この起業のゴールは会社の売却にあり、それを容易にするものが株式である。例えば80%の株式を売却するというように、部分的に売却することも考慮した。最終的に売上10億円、EBITDA1億円を達成し、株式のすべてを7億円~8億円で売却して引退したいと考えている。

そして10月に株式会社を設立してから約2カ月がたった。


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