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年収1600万円から起業で年収72万円へ成り下がった男

退職届を提出してから5か月後、無事退職。
安定は失われた。

サラリーマン時代は海外駐在ということもあり、円換算で月130万円以上の報酬をもらっていた。家賃や税金を引いた手取でも余裕で1000万円を超えていた。私はそのポジションを捨てた。

私は新しい未来を迎えるために重い足枷(年収という呪縛)を解いた。

そして株式会社を設立した。
完全自己資金でのスタート。
役員報酬は月額6万円。年収72万円。

正直なところ報酬ゼロでも良いと思ったが、社会保険や源泉徴収の仕組みも理解しておきたかったので、とりあえず最低限の役員報酬を設定した。

実は憧れていた年収1000万というラインは、20代前半の頃に思っていたほど魅力的なものでは無かった。「1000万円超えたらすごい世界が待っているかもしれない」「1000万円稼いでる人かっこいいな」といった感じで何の根拠もなく憧れていた。

1000万円というお金は確かに大きなお金であったし、買えるものも、できることも増えた気がする。しかしそれ以上に失ったものは多かった。人生は常にトレードオフなのだと感じた。

特に「家族と過ごす時間」を失うのがとても苦しかった。単身赴任で長期間家族と離れ離れになるのは精神的にきつかった。年収1600万円と妻や子供との時間を天秤にかけて前者をとる人はどれぐらいいるのだろうか?立場や状況にもよると思う。

私は、サラリーマンは会社にとっては替えがきく駒で、父親は家族にとってオンリーワンであると思っている。私が辞めた後も会社は何事もなかったかのように回っている。前職で私の周りには「自分がいないと会社が回らない」と自慢げに話す先輩や上司が数名いたが、それは明らかな過信だ。

私は2024年5月に退職願を出して、退職できたのが同年9月。会社からあと腐れなく離れるためにこの猶予期間を飲み込んだ。

退職届を出した時には正直深く考えていなかった。当時の感情は「無」であった。一番近い言葉を選ぶとすると「諦め」だ。幸い妻は私の意見に賛同してくれた。きっと本心では不安だったと思うが、表面上でもそういう風に取り繕ってくれた妻は私の真の理解者だと思った。

話は逸れるが妻とは「合コン」で出会った。当時20代半ばだった自分は退職時とは別の部署でボロボロになっていた。実際に慢性的な胃腸炎に悩まされていたし、病弱でガリガリで肌も荒れていた。

例えるなら捨て犬のような状態で参加した合コン。そこにいた妻は、「年上の可愛らしい女の子」という印象だった。そんな妻と結婚できたのは自分の人生における最大のラッキーだと思う。妻と会えていなかったら私の人生はもっと暗いものになっていたかもしれない。

家族のこともあり、退職届を出した後はしばらく今後の人生について考えていた。しかし前記事で書いた通り、私は起業という道を選んだ。そして年収1600万円から年収72万円に成り下がった。家族のためにもスピーディーに事業を成長させて、来期にも脱却しなければならない。プレッシャーは大きいが、人はプレッシャーをかけることで成長できると信じている。

これまで「人生における最優先事項は何か?」と自問自答を繰り返しているが、その答えはいつも「家族」だ。もちろん家族と仕事を完璧に両立できる企業も世の中には存在していると思う。しかし日々どちらかを選ぶシーンが生まれるなかで、常に家族を取りたいという気持ちが強かった。子供が熱を出したら駆け付けたい、子供が寝る前に帰宅したい、子供が寝たあと妻と他愛もない会話をしたい。

それを叶えるためには、自ら理想の環境を構築するしかないと考えた。

世の中のトレンドとしては副業→独立というルートが一般的と言われているが、個人で1円も稼いだ事がないサラリーマンが株式会社を作るのは異常だろうか?

私は自分の人生を使って検証したい。無名のサラリーマンが株式会社を設立してどこまで上り詰める事ができるのか。世のサラリーマンに自分の生き様を発信していきたい。









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