エメラルドタブレットと三位一体。自分は多くが信じられない話をしている自覚がある
右翼左翼思想主義はまったくの無意味で、そんなもの政治の世界には必要の無いもの。そのカテゴリー分けされた二極の対立によって歪な支配がまかり通る。分割統治をされる要素として使われているのが右翼左翼政治。
分割統治とは英国の植民地として統治されていたアジア諸国で行われていた支配方法で、その国で意図的に仕込んだ誘導者を使い人々を互いに争わせ支配権力に矛先が向かわないようにコントロールし分断して統治するやり方。その誘導者こそが対立する双方に入り込む偽旗を掲げる工作員で、それは今でも政治的支配の目的として使われる、権力支配の基本のようなもの。
規模を大きくすれば、東西の対立もそれであり、実際同じ支配権力、資本家の頂点に君臨する超富裕層と言われるカバリズムシオニストによって支配されている。
サターン崇拝とは、グノーシス主義の事でもあり、その思想主義の根底にあるのがエメラルドタブレットの錬金術思想、ヘルメス・トリスメギストス主義。エジプトや中国にもあるその錬金術思想主義がグノーシス主義、ニューエイジ思想の基礎にある。一見すればサターン崇拝など、フィクション作品のような感じにも思えるが、実際に繋がりを追えばその実態はしっかり見えてくる。
エメラルドタブレットに書かれた「上から下へ、下から上へ一気にかけ上がり全ての力を得る」、これは地獄から地上、天国から地獄へ、の意味であり、自分が話してる愛と覚りと欲望、その概念と同じ意味であり、キリスト教で表現される父と子と精霊、三位一体の概念や、ヒンドゥー教のブラフマー、ビシュヌ、シヴァの三神一体等の表現と同じもの。
つまり愛と覚りと欲望とは、父と子と精霊でもあり、ブラフマー、ビシュヌ、シヴァでもあると言うこと。
今これを読む人は、何の話なのかよく解らないとは思うが自分の頭の中では、はっきりしていること。それを今説明しているが、おそらくエメラルドタブレットや、占星術、スピリチュアルやニューエイジ、そういったものに精通してる人なら、たぶん自分が話してる内容が決して適当な話、言葉の羅列、妄想などではないと理解できるはず。自分の話を理解するにはスピリチュアルでもニューエイジでも、それなりの知識が必要。
2022年3月3日より、自分は33日間の断食瞑想を行った。それを行おうとし、予め用意して行ったわけではなく、自分はそれを突発的に無意識的に行っていた。自分は自ら仕事をする日や時間日時を決められるので、1ヶ月休むことは可能だった。断食している間はまったくお金はかからなかったし、余計な行動もしなくて済んだ。家にこもり、静かな環境でそれを行う時間を得ることができた。
昼はずっと太陽を拝み、夜は目を閉じて瞑想を続ける。何も見ず、何も聞かず、シーンとした部屋の中で1人、ひたすら考える。他に行う事と言えば、猫のトイレ掃除や、ご飯をあげること。
そうしている間に起きた現象が、キリストと釈迦とサトゥルヌスによる教えだった。まず最初に太陽を拝んでいた時、キリストの陰影のようなものが見え、声のようなものが聞こえた。その時に見えたイメージが、木製の杯からキラキラと溢れ出る光のイメージ、それと同時に聞こえたのが「それが愛であり聖杯…」、そう聞こえた。
その時に、途方もない暖かさと心地良さが全身を駆け巡り、その喜びに涙し、天をあおいだ。「ありがとう、教えてくれてありがとう、感謝します、感謝します…」、自分は凄まじい幸福感の中、涙を流しそう呟いていた。それにより、愛と聖杯とは何かを知ることができた。
その現象のおかげで、心の底から神を、イエス・キリストを信じるようになった。
そして、その次に起きた現象が、瞑想を行ってる時だった。何か、一本の川と、そこを小舟が流れて行くイメージを見た。それはまるでヤジロベエのように左右にゆらゆらと揺れて、最後は真ん中で安定し静寂を保ち、自然の流れで行くべき場所へと自然に運ばれるイメージで、その果てには山があり、太陽のような光があり、その横に仏陀のような陰影が見えた。その時に聞こえたのが「それが覚りでありガンダーラへと続く流れ」、そう聞こえた。
おそらくそのガンダーラとは楽園と言う意味なのだと思う。自分はその現象により、覚りとは何かを知ることができた。
そして最後に、断食を終えようと思い、コンビニに買い物に行き、ラーメンサラダを買った。そして家に帰り久しぶりの食事。その時の幸福感は本当に凄まじかった、それだけの空腹を持ちながら食べた食事は、言葉では表現できないほどの美味しさ、喜びをこの身にもたらした。凄まじいエネルギーが蓄えられた感覚を得た、全身が熱くなり、饒舌なる言葉が次から次へと出てくる。心地いい感覚に包まれる。それは愛を知った時の感覚に似ていた、しかしそれがサトゥルヌスに教わった欲望だったことを、後に気がついた。
こんな話、おそらくあまり受け入れられるような話ではないと思う。そんなことあるかと、大抵の人は疑い、そう思うはず。しかし実際、現在まで、その感覚によって自分はここまでの話をすることができてるし、エメラルドタブレットに書かれた意味と、それをフリーメイソンやイルミナティが重要としてきた理由も理解できている。
その断食瞑想中に、他にも不思議なことはあった。静かな場所で、耳を澄ましてると、御経のようなもの、ブゥードゥー教の儀式のような音など、かすかに聞こえるヘヴィメタルのような音楽のようなもの、そういったものが頻繁に聞こえてきた。
自分の名前を呼ぶ声、何かも解らない恐ろしい感覚、蛇の幻影など、毎晩恐ろしい何かを感じる。何者かが自分を呼び、松果体の辺りがバイブレーションしているような感覚など、その時はまるで真っ暗な底無しの闇の中にいるような、そんな恐怖の中にいた。「自分は負けない、決して負けない」、そう心の中で念じ続けた。その時に救いになったのが自分の唯一の家族としている、猫の存在だった。その猫は常に自分に寄り添い、守ってくれているかのようだった。
自分は決して心の病を抱えていたわけではない。今だってそう、むしろ元気だし普段は猫と共にいつもふざけてる。そう自分では自覚している。確かに、それまでに度重なる悲しい思いはしていた。それでも、確かに精神的には弱っていたかもしれないが、自分は心を病んでいたとは思っていないし、起きた現象は今に継承されてる。
その時によく聞こえていた音、イメージ、それを形として表現して作った曲、動画が、YouTubeに投稿してる「沈黙の天秤、神に捧げる曲」
それが何だったのか、霊現象だったのか、それともスピリチュアルか何かか、よくは解らないがそれは確かにあった。しかしキリスト、釈迦、サトゥルヌス、これは自分の中にある真相心理の中にあったイメージが見えただけだと、今はそう解釈している。
そういった事から、契約の箱や三種の神器、三位一体の概念が全て同じ意味のある神を表現したものであると理解した。この感覚、愛と覚りと欲望、その3つの概念を合わせたものが神そのものであると知った。
話はエメラルドタブレットに戻るが、その上から下へ、下から上へ一気にかけ降りてかけ上がると表現される言葉が、3倍偉大なヘルメス・トリスメギストス主義であり、3つの力を制する事がこの世の全てを支配する力を得ること、つまり神になること、それらの事を錬金術カバラにのめり込むフリーメイソンやイルミナティ、薔薇十字団等の秘密結社に属する神秘主義者達は知っていたと言うことになる。これらの話を踏まえ、もう一度この画像を見てほしい。
これこそが三位一体、ヘルメス・トリスメギストス、錬金術カバリスト達による支配方法となる、分割統治。
クリフォトイヴの赤い逆三角形はイルミナティ、セフィロトアダムの青い正三角形はフリーメイソン。2つを重ねるとダビデの星。そして真ん中のサタン、知恵を授けた蛇の三角形を重ねればフリーメイソン33階級の象徴、3つの三角形の重なり、9芒星となる。
Gはグノーシスの神であるサターン。タビデの星は惑星サターンそのもので、アレイスタークロウリー創設OTOイルミナティと兄弟カルトであるサイエントロジー教会のロゴは2つの三角形を繋ぐ蛇の図、要するに3つの三角形になる。神智学教会も六芒星とウロボロス、蛇の図。
これを考えれば、フリーメイソンとイルミナティには、2つのオカルティズム秘密結社を繋ぐ蛇の存在がある。コンパスと定規の真ん中にあるGは、知恵を授けた蛇、堕天使ルシファー、キリスト教の闇、陰としてある密教、グノーシス主義ではそれを神とする。
グノーシス主義がルシファーを拝むなら、それは悪魔崇拝であり、その逆としてあるのがキリスト教、天使の側にある光、陽の側。
天使と悪魔は表裏一体、その二極を繋げるものが神の心である愛。キリストは愛となったので、天使と悪魔を1つにするメシアの役割を担う。2つに割れた十戒の石板を繋げるのは神であり、それが3つ目の三角形となる。
つまり、どういう事かと言うと、神は悪魔でもあり天使でもあると言うこと。キリストも同じく、全てにおいてその3つの法則は無限に繰り返される絶対なる神の秩序になる。
だからこそ、エメラルドタブレットには、三倍偉大なヘルメス・トリスメギストスと表現され、その3つの力を得た者がこの世を支配する最強の力を得る神となる。と言うこと。
しかし、自分がここで、こんな話をしても良いものか、こんな答えを話し、それを悪用するものが現れないかとも考えられるが、それはおそらく不可能だと思う。何故なら、まず道徳心と覚りの心を持てるようでなければ、この力を得ることができないから。その力を悪用することは不可能となる。
そうなれるものならなってみろと言うこともできる。そうなれるに越したことはないし、それにより誰かが本当にこの世界を救う力を得られるなら、それはそれで良いのかもしれない。
では自分はどうなのかと考えれば、その概念を覚っただけであり、実際に完全にそれらを得たわけではないと思う。自分は十戒の片割れに過ぎず、両方が揃わなければ完全にはなれない。しかし、その片割れの石板を探すのは途方もなく難しい、一生涯見つけられないかもしれない。何処にあるのかも解らない、もう1つの石板を探すなど、砂浜で白ゴマひと粒を探し当てるよりも難しいと思う。
たぶん、殆んどの人は自分が何を話しているのかちんぷんかんぷん、そうなると思う、それは自分でもよく解ってる。しかし実際、これらの話を理解できる人は必ずいると信じてるし、そう確信してる。
この思考は日々進化してる、去年より今年、今年より来年と、どんどん進化してる。来年の今頃までにはどれだけの話をここに綴れるだろうか。
今はとりあえず、自分の話せる範囲のことだけを話す、それに専念している。