職なし彼氏なしの33歳独身。移住した先に待っていた未来。
ちょうど6年前。
身体の芯から冷えを感じるようになった11月。この6年で私の身辺は大きく様変わりした。
その始まりの種は、こんな小さな想いからだった。
「自然に囲まれた場所で暮らしたい」
なぜそんなことを思うようになったのだろう、と自分でも不思議に思う。
地元は都会の閑静な住宅地。食材や日用品の買い物は、徒歩か自転車で事足りる。繁華街まで、電車で30分以内で行けるくらいの利便性のよい場所だ。社会人になって一人暮らしをするようになったが、実家からそう遠くなく、地元から33年間離れたことはなかった。
住み慣れた場所。
便利で何不自由のない暮らしができる場所。
けれど、はじめに湧き出た
「自然に囲まれた場所で暮らしたい」
という想いはむくむくと膨れ上がっていった。
自然の中で子育てがしたい。
自然豊かな場所で心穏やかに暮らしたい。
窓から緑が見える書斎をもちたい。
小さな想いが次から次へと派生し、イメージが広がっていく。それは、自分でも無視できないところまで大きく育っていた。
その頃、療育関係の仕事を続けていた。仕事にやりがいもあり、人間関係も良好。非正規の雇用で働いていたが、正社員での登用も打診されていた頃だった。
それなのに、だ。
「やっぱり移住したい」
馬鹿げた話だ。何をそんなにこだわっているのだろうと思われることだろう。実際、人に話すと「なんで?」「仕事はどうするの?」と不安の声を投げかけられることも多かった。
それでも、私は、
「自分の心に従がって生きること」
に挑戦したかった。
「なんで?」の声に相手が納得できるような答えを返せなくとも、「仕事はどうするの?」の声に心が折れそうになっても、自分の納得のいく決断を選びたいと思った。
「辞めます」
そう上司に伝えることは心苦しくもあった。理由を聞かれて、思いの丈をうまく話すことはできなかったと思う。それでも理解してくださり、周りの職場の方々にもあたたかく応援してもらえた。ほんとうに良い職場に巡り合えた、素敵な人たちに出会えたと思っている。
そこからは移住を実現させるべく、動き回った。
まずは、移住候補地を探すところから。ネットで調べたり、知り合いから情報をもらったり。あらゆる手段を使って探した。
そして、気になる場所には実際に赴いた。電車やバスや車で、数々の場所を訪れた。山奥から小さな島まで。たくさんの人に会い、たくさんの景色を見た。
そのプロセスの中で、自分が思い描いている理想の居住地を明確にしていった。実際に行ってみると、「ちょっと山が近すぎて災害が不安だな。親も心配するだろうな」とか、「車で30分以内にスーパーがあるところがいいな」とか、どんどん、理想が具体的になってきた。
そして、心に変化も生まれてきた。
「移住したい」じゃなくて、「移住するんだ」という気持ちへと。けれど、油断すると不安が一気に押し寄せてきて、目の前を真っ暗にした。希望と不安とが天秤にかけられ、いつもゆらゆらと揺れ動いていた。
かつて書いたnoteの記事の中で、こんな言葉を残している。
この先、自分の望む仕事に就けるかどうかわからない。結婚相手もいない、まっさらな状態の33歳。未来に何の保証もない中で、私が選びたかったのは、「自分の意志に従うこと」だった。
気持ちが不安に傾いたら、何度も思い出した。
自分の心に従っていれば、きっと大丈夫だ。
心に従わない選択をすることの方がこわい。と。
そうやって、ひとつひとつと向き合ってきた結果、おおよそ3ヶ月程度を要して、ようやく移住地の候補が絞れた。次は住む部屋だ。そこから先は、やるべきことが山のように待っていた。
とくに、6年前の11月は怒涛の毎日だった。住む部屋も仕事も決まっていない状況で、月末には住んでいた賃貸住宅を退去することになっていた。移住先は車移動が必須なので、車も手配しなければいけない。加えて、引越しの準備や事務手続きの数々。頭が痛くなった。
トラブルやハプニングは数知れず。初めてのことばかりで失敗もした。迷惑もかけた。
車の運転もままならないので、レンタカーを借りて運転するところから始めた。ナビ通りに行っても道に迷って、どこに行けばいいのかわからなくなった日もあった。山奥に迷い込んで、あやうく引き返せなくなることもあった。
銀行の手続きがうまくいかず、路上で人目も憚らずわんわん泣いた日もあった。時間も精神状態もギリギリのところでやっていたから、張り詰めた緊張の糸がプチンと切れてしまったのだ。号泣しながら、食べたきつねうどんは忘れはしない。
ネットがつながらなかったり、希望の任意保険に入れなくてクーリングオフしたり、数々のトラブルに見舞われ、そのすべてを自分でなんとか対応した。何度、電話したことだろう。何度、苛立ちを覚えただろう。何度、失望に胸を打ちひしがれただろう。
決して平坦な道のりではなかった。けれども、自分で選んだ道。最後まで責任をもって、自分で歩んでいきたいと思った。
こんなことも過去に書いている。
暖房の効かない、底冷えする移住先のがらんどうの部屋で一人。引越しの荷物が届くのを待っていたときに思ったこと。
15畳の1Kの部屋で、膝を抱えてうずくまっていた。心細さを感じずにはいられなかった。けれど、ぽっかり空いた心の中に、まっさらに広がる自由と可能性を感じていた。
ここから始まる。
私が自分の人生を創っていくんだ。
新しい仕事が始まる。見知らぬ土地での再スタートは、小さなこの部屋から始まった。
そして、まっさらな未来に書き加えられていったことは、過去に抱いていた小さな夢の数々だった。
仕事で叶えられたことは、特別支援コーディネーターを任せてもらえたこと。当初は違う役職だったけれど、働きぶりが認められ、抜擢していただいた。働きやすい環境づくり、特別支援関連のサポートなど、与えられた立場から貢献できたこともあったのでうれしかった。
他にも、卒業生に関われたことや、熱意のある先生方に出会い、深く学び合えたことも、元々小学校教員として働いていた時には成し得なかったことだった。
プライベートでもびっくりすることが起きた。知らない人ばかりの移住先。そんな中で、移住して3ヶ月後には今の夫と出会い、またまた3ヶ月後にプロポーズを受ける。こんなトントン拍子に進むものかと、最後まで結婚詐欺を疑っていた。(どうやら杞憂だった)
現実が望んだ通りに動き出した。くすぶっていた想いが実を結んだ。仕事で評価された。良きパートナーと巡り合い、家族ができた。
そうやって、はっきりとした形として現れたものは、私を確かに幸せにしてくれたけれど、意外にも、それ以上に充足感をもたらしたのは、どれだけ自分の心を大切にして行動できたかどうかだった。
何度も足を運び、悩みに悩んで選んだ土地、部屋。直観を信じて選んだ仕事。
自分の心をおろそかにすることなく、納得のいく選択を積み重ねてきた。どんな感情も見過ごすことなく向き合ってきた。
小さな「今」この瞬間に「自分の意志」を乗せていくこと、その挑戦。
それができたと思うから。誇らしい。胸を張って、ここにいられる。私であれる。
そのことが何よりもうれしい。
がらんどうの部屋で膝を抱えてうずくまっていた私に声をかけたい。
よくここまできた!
迷うことなく、そのまま進め!
未来の私が、今の私をそうやって引っ張ってくれているのかもしれない。
6年前に、ほぼ同じタイムラインで書き綴っていた冒険譚とも呼べる日々の記録です。一部、こちらの記事から引用したり、重なる内容が内あったりしています。
あらためて読み返してみました。自分のことながら、過去の自分、よくやったなと思わずにはいられません。今も、自分の心に従うことを大事にできているだろうか。あの時ほどは大事にできていないような気もしていて、身の引き締まる思いです。
私の冒険はまだまだこれから。
想像を超えた未来をこれから先も描いていこう。心に従って生きていく、と胸に誓って。