キャラが心を入れ替えるシーンでは、涙を流すほどの屈辱を与える
◆概要
【キャラが心を入れ替えるシーンでは、涙を流すほどの屈辱を与える】は、創作の技術の1つである。
「キャラが心を入れ替えるきっかけとなる出来事」を描くのは難しい。生半可な出来事ではダメだ。読者・鑑賞者が「えー。その程度で心を入れ替えるの?ご都合主義だなぁ」と醒めてしまう。
やるなら徹底的に!「そりゃ彼も心を入れ替えるよ」と読者・鑑賞者が納得してくれるように、徹底的に屈辱を与えるのだ。
◆事例研究
◇事例:映画「ドランクモンキー 酔拳」
▶1
主人公・フェイフォンは父に命じられ、ソウ(酔拳の達人)のもとで修行を積むことになる。だが当初、フェイフォンはやる気ゼロ。サボったり、さらには脱走を図ったりする。
ところが脱走後、フェイフォンはティッサム(カンフーの達人)と戦い、屈辱的な敗北を喫した。そして、あまりの悔しさに涙を流した。かくしてフェイフォンはソウのもとに戻り、今度こそ真面目に修行。やがて酔拳の達人になり、ティッサムに見事リベンジを果たす。
つまり【ティッサムと戦う → 屈辱を味わう】というエピソードを境に、フェイフォンは心を入れ替えるのだ。
▶2
では、フェイフォンはどのような<屈辱>を味わったのか?整理してみよう。
まず、フェイフォンはティッサムに手も足も出ない。ボコボコにやられる(屈辱1)。その結果、フェイフォンは途中で戦う気力を失ってしまう(屈辱2)。ただただ怯えたような目つきでティッサムを見つめるだけだ。
また、「お前なら片手でも殺せる」「貴様のようなザコを殺したら、俺の名に傷がつく」とティッサムに言葉で侮辱される(屈辱3)。それだけではない。「お前のオヤジもこの程度なんだろ?親子ともども修行のやり直しだな」と家族をも侮辱される(屈辱4)。
さらに、顔面をぐいぐい踏みつけられたり、股の下をくぐらされたりと、大いに自尊心を傷つけられる(屈辱5)。
……とまぁ、これだけの屈辱を味わうのだ。フェイフォンが心を入れ替えるのも納得だ。