2022年の日記集:断言できることなんて
【3月30日】
テストの点数が高かったら。
スポーツが上手だったら。
話が面白かったら。
容姿端麗だったら。
仕事ができたら。
どれも一つの切り口・尺度でしかないのに、その一つだけができるだけで「すごい人」になったり、その逆で「ダメな人」になったりする。あなたのことを、よく知らない人に勝手にジャッジをされる。
...
では、それぞれは平均的だけれども、総合得点が高かったら。 それもまた「すごい」とも言えるだろうけれど、万人がそう思うというわけでもない。わかりづらい、きっと。
結局のところ、評価において何を重視するかなんて、人や時代、社会によって変わるのだ。
「これさえできれば素晴らしい」
「これができないとダメ」
言い切れることなんて何一つないのに、分かりやすい二元論のようなものが好まれる。
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言い切れることなんてあるのか。
"私が"いまこの瞬間、何かや誰かが好き/嫌いなこと。
"私は"こう思った、こう感じた。
それくらいしかないけれど、それを大事にしたらよいのだ。
男性はこう思う。
20代はこう思う。
企業はこう思う。
日本人はこう思う。
そんな風に、主語を拡大しなくていい。
あなたが思うだけで、十分だ。
エビデンスだって、いらない。
みんなに言わなくたって、伝わらなくたってよい。
自分がわかっていたら、そして大切な人にだけ伝わったらよい。
...
もうひとつ、言い切れること。
私は、私と死ぬまで一緒だということ。
だったら、自分だけは自分の味方でいること。
今もし、自分のことを好きになれないのなら、 好きな自分に変わるのも一つだけれど…
見方を変えて、今のままの自分を許すことも一つの方法ではないか。
高い理想を追い求め続ける人生、自分の不甲斐なさを見つめ続ける人生。
そんな至らなさに打ちのめされることが大半の人生なんて、私にとってはすこし苦しい。誰と、何と戦っているのだろう。誰のための理想なんだろう。
私は私のためにだけ時間を使いたいし、自分のためだけに奮起する。
そんなことを思う年度末。
来年度も忘れたくない、大切にしたいこと。
…
※この記事は、過去にメンバーシップ内の掲示板に投稿していたものを再編集したものです。
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