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エッセイ【お立ち寄り時間1分】雨の日には冷えたスプーンを一胸焼けするほど欲しかった日々一
小さい頃から本が好きだった。
裕福な家庭ではなく、欲しいものが必ず手に入る環境ではなかった。ゲームは、祖母の家にあるスーパーファミコンで、ソフトは、ドンキーコングのみ。欲しいものは、ご褒美制だった。
唯一、いつでも買ってもらえたのは『本』だった。本だけは、(それも)カゴで欲しい分だけ買ってもらえた。兄弟はいなかったから、遊ぶのはいつだって『本』だった。
だから、必然的に好きになった。
本でも唯一手に入らなかったのが、『ナルニア国物語全集』だ。
それでも、クリスマスプレゼントに、1巻だけ枕元に届いた。ちょうどナルニア国物語に人気が出て、おそらく物理的に手に入らなかったのだろう。父か母が、市内の本屋さん、古本屋さんを一軒一軒探し回って、見つけてくれた1巻。
その1巻が、私にとっては宝物となった。
ページをめくるたびに、体中のあらゆる感情が、少しずつ本の世界に没入していく、あの感じ。嫌なことがあっても、いつの間にか消えてゆく。
授業をサボって食べたバニラアイス。
真夜中から始まる一人旅。
新年、早朝の静寂。
自分の部屋にいるのに、どこか別の世界にいるような、終わって欲しくない、あの不思議な感覚。『ぽつねんと幸せ』だった。
大人になったいま、全巻を手に入れることは容易い。けれども、いま読んだとしても『ぽつねんと幸せ』はおそらく味わえない。
どこかに魔法が転がっているかもしれないと、信じていたあの頃のわたし。
欲しいものは、頑張らないと手に入らなかったあの頃のわたし。
キラキラとゲームの話をする君が羨ましかったあの頃のわたし。
あの『わたし』だから見つけることができた『ぽつねんと幸せ』なのだ。本が好きな人は、孤独な人だ、と言い伝えみたいに聞くけれど、決して可哀想でも、不幸でもない。
孤独は、素敵だ。
この幼少期の『ぽつねんと幸せ』は、大人になってから、特にかけがえのないものとなった。
どうしようもなく行き詰ったときの最終形態『踊らなきゃやってられねーぜ』に進化を遂げた。孤独に突き進まなきゃいけない時も、『ぽつねんと幸せ』を知っているから、踏ん張れる。
だって、孤独は幸せを隠しているから。
あの時、味わった『ぽつねんと幸せ』は、時に『大人のわたし』をも救い上げてくれる。
魔法は、あったんだ。
ちなみに、ナルニア国物語全巻は、届かなかったけれど、宮沢賢治全集は届いていた。『クラムボンはわらったよ』は、まだ、わたしには早かった。
あのときの『わたし』は胸やけするほどに、貪るように味わいたかったのだ。クローゼットから魔法の国につながるあの『ぽつねんと幸せ』を。
さて、今日も雪景色が綺麗だ。