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雨の日には冷えたスプーンを一愛してくれた跡を辿って一
※お立ち寄り時間…5分
彼の寝返りが始まった。
現在進行形寝返りだ。
横向き、ないし仰向けだと良いのだけど、そうはいかず、調子がいい時には、何回もうつ伏せに挑戦する。
発展途上、5回に1回ぐらいしかうつ伏せから仰向けにならない。泣いてくれれば良いのだけど、たまにサイレントで頑張っていて、大事なところがヒヤッとする。
だから、完全に彼が眠りにつくまで、隣で見守るのが習慣になっていている今日この頃だ。
彼を見ていると、否応なく昔の自分が浮かんでくる。
幼い頃は、父とお風呂に入って、その日楽しかった話をたくさんした。
一緒に入らなくなってからは、長風呂をしていると、父が心配して様子を見にきてくれた。
遠くから、大きな声で「大丈夫かあー?」と。
母は、いつも「寒くない?」が口癖だった。
季節の変わり目や寒暖差が激しい季節は、煩いほど心配された。
受験期は、いかにもな半纏を着せられ、社会人になってからも、手のひらサイズのゆたんぽをプレゼントしてくれた。
子どもができて、父と母の愛の大きさを知った。
親になることが、いかに忙しなくて、たまらなく愉快なことかを。
煩わしいし、焦ったいなと、思っていた頃もあったけれど、今なら、もう、想像できる。
水を得た魚のように、行き場を見つけた母性は、穏やかに広がっていく。
子どもには、なるべく幸せでいて欲しいし、毎日笑ってて欲しい。危ないことから守ってあげたいし、好きなことは、たくさんさせてあげたい。
現在、両親と一緒に彼の子育てをしている。
今時は、珍しい家族の形かもしれない。
一緒に子育てをしていると、ふとした瞬間、自分がどんな風に愛してもらっていたのかが分かる。
息子に向ける父や母のほころんだ笑顔は、遥か昔は、自分に向けられていたのだと知る。
歯痒くて、甘酸っぱい気持ちでいっぱいになる。
何だかタイムスリップしている気分だ。
昔の父と母の間に、大きくなったわたしがいる、そんな感じ。
父と母の息子のあやし方が、自分と同じだった時は、笑いそうになる。
変な替え歌を作っていたり、踊って泣き止ませようとしたり。遺伝子とは、ややっ、世も末だなあと、嬉しい気持ちになる。
時に、意見の食い違いで衝突したり、一緒だと迷惑かな、と切ない気持ちになったりもする。
ただ、自分が愛されていた跡を辿ると、親の背中は、どんな高価な物にも替え難い、唯一無二の存在だと知る。
そんなことは、杞憂なのだと思い知らされる。
何にも上手くいかないな、と懊悩していると
ご飯食べて、お風呂入って、暖かくして
よく眠りなさい、全部上手くいくから、と。
しがみつかなくていい。
好きに生きなさい。
もう、辛くないからね。
ずっと居ていいんだからね。
たまに、真顔で伝えられる
心の芯の内側に響く言葉に
涙が止まらない時もある。
両親の背中って、案外良い。
そろそろ、庭の金木犀が爛々と咲きはじめる。
どんな日でも、迷わずに帰ってこれるようにと、父と母の慈悲深い愛を、はたまた知るのだ。
金木犀の別名は、九里香だから。