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エッセイ【お立ち寄り時間1分】雨の日には冷えたスプーンを―頑張るってなんだろう?―
先日、会社の同期の新築祝いに参加した。
産後、久しぶりの集まりで、内心ちょっと浮かれていた。終始和やかに進み、名残惜しいが一足先にお暇した。バイバイの代わりに、集まった同期の1人から「育児、頑張ってね!」と声をかけられた。
帰りの車で、どんよりした雪雲を眺めながら、「はて、何を頑張るのだ?」とふと疑問に思った。帰り際に押し込んだコーヒーが、気だるく舌に残っていた。
出産した直後も、「育児、頑張ってね」とよく声をかけられた。まるで、呪文のように、皆口々にそう言った。そのたびに、「頑張って」という言葉がずっと『違和感』として奥歯に挟まっていた。
『頑張る』
(1)我意を張り通す
(2)どこまでも忍耐して努力する
(3)ある場所を占めて動かない
広辞苑で、『頑張る』の意味を調べてみた。さて、育児『頑張ってね』に全ての意味を当てはめてみよう。
「育児、我意を張り通してね!」
「育児、どこまでも忍耐して努力してね!」
「育児、ある場所を占めて動かないでね!」
辛うじて意味が通るのは、2番目の文だが、脅迫めいていて怖い。
もし、友人から「育児、どこまでも忍耐して努力してね!」と笑顔で言われたら、人間性を疑う。おそらく、もう連絡を取り合うことはないだろう。
『頑張る』は、対自分で、何か目的を達成する時に使うとしっくりくる。例えば、資格試験や受験勉強等だ。資格試験なら、資格を取得するまで、受験勉強なら、志望校に合格するまで、といったように。
それに、『頑張る』は、いつでも自分主体でやめることができること、という感覚がある。
育児は、対自分ではない。
対我が子だ。柔らかくて、愛おしくて、たまに憎たらしい我が子なのだ。
我意を張り通していたら、我が子の我がままがおそらく加速するだろう。
どこまでも忍耐して、努力していたら、我が身が滅びるだろう。
ある場所を占めて動かないでいたら……どうなるのだろう。
育児は、定点だ。
自分の力だけじゃどうしようもできない。育児は、頑張ったから上手になる訳でもない。ましてや、褒められることなど皆無だ。様々な人の手を頼り、あらゆる便利グッズを駆使し、家族と協力し、そして感謝し成り立っていくことだ。だから、育児は、『頑張る』じゃない。
育児だけじゃない。
自分の力じゃどうしようもできないことを『頑張る』必要はない。動かない点を動かそうと『頑張って』も、動かせないものは、動かないのだから。
自分の力じゃどうしようもできないことは、周りを最大限に頼っていい。
では、もし1つ『頑張る』としたら、それは自分がご機嫌になることだ。
美味しいものを食べる。
お風呂に入ってリラックスする。
思う存分眠る。
趣味に没頭する。
やりたかった仕事に挑戦する。
シャンパンタワーの法則という言葉があるように、自分自身が満たされていれば、きっと不満やストレスも最小限となり、人間関係もスムーズに進む。もし、育児で『頑張る』ことがあるとすれば、それは自分自身がご機嫌でいることだろう。
さて、今夜も『ご機嫌』になるべく、『頑張る』としよう。やりたいことをやっても、誰も死にやしないのだから。