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痒い 痒い!

 空気が乾燥度を増すこの時期になると、身体中やたら痒くなる。

 元来脂性ではなく、敏感肌の乾燥肌なのだが……子供時代はそんなに身体中が痒くなるなど皆無だったと思う。
 痒い……と言えば、ほぼ虫刺されに限られ、肌に関しては、打撲とか擦過傷による痛みの方が身近だった。

 まあ、子供の水分量は70から80パーセントと言うし、これが大人になると60パーセントほどに落ちてしまうのだから……要は、歳と共に人間とは干涸びてゆくのが宿命なのだろう。

 実は僕の場合、夏は夏で「汗かぶれ」に悩まされ……秋口にようやく治まって一息だったのだが……昨今のように「秋」が姿を消して、一気に乾燥の冬ともなれば……原因は違えども、引き続きの「痒み」に悩まされる。

 とにかく、掻きむしってはいけないと知りつつ、ついつい痒いと引っ掻いてしまう。「痒み」というのは厄介なもので、場合によっては「痛み」以上に精神の集中を阻害する。
 夏季には痒み止めの藥を服用したこともあったが……元来藥嫌いとあって、あまり頼りたくはないのだ。

 ついでに、皮膚を引っ掻く行為というのは、多分に精神的な要因も係っているらしく、一筋縄ではゆかないのだ。

 加えて、これはガキの頃からの悪癖なのだが……ついつい、カサブタを見ると剥がしたくなるという……嗜虐趣味があるらしい。

 そう。痒いブツブツなどを掻きむしると、皮膚は裂け、カサブタが出来る。そのまま放置しておけばいいのだろうが……ついつい、このカサブタを剥がしてしまう。時には、殆ど無意識の裡にしでかしてしまう。
 結果、出血してかえって悪化させてしまうのだが……どこか、痒みよりは軽い痛みの方がマシとうえ考えが上位に立つ。

 よしんば、意思の力で掻きむしることを我慢したにして……就寝時に知らず引っ掻いているのだから始末に負えない。シーツが血の点々だらけということも、珍しくはない。

 いずれにしても、「痒み」というのは「痛み」と並んで身体が発するサインなのだろう。
 ただし、「痛み」の方が理解は容易である。患部を労り、傷なり打撲なりの痛みの軽減を待つだけのことである。間違っても、ヒリヒリする傷口を引っ掻くなどの刺激は与えないはず。
 翻って「痒み」の場合は……完治を待つ以前に、引っ掻くことによって、より悪化を招くことにもなりかねない。

 この違いは何なのだろうか?

 同じ肉体の反応であると同時に、「痒み」には……やはり、それ以上の精神的要因がありそうである。

 そこで考えてみた。

 そう、時に背中全体が痒いという時がある。当然、背中を掻きむしりたくなる。

 ……が、ちょっと待て!

 仮に掻きむしったにして、一時の気休めに他ならず、いずれ痒みはぶり返すのだ。
 もしかしたら、本当は背中が痒いのではなく……「脳」が痒いのではないのか?

 もし、本当に脳みそが痒いとしても、我々は耳穴から指を突っ込んで、直接脳みそを引っ掻くことは物理的に不可能なのだ。
 結果として、肉体はその脳の痒みを……間に合わせのサインとして、背中の痒みとして伝達しいるのでは……

 思い当たるフシがないでもない。

 脳とは物理的なダメージ以外にも、始終様々なストレスの刺激を受けているはずである。
 今のままでは解決出来ない、難問がひしめき合い、……何とかしろよ! ……というサインをやや婉曲に皮膚の「痒み」とて伝達しているのではないのか?

 思えば、大人に比べれば子供にはストレスは少ないのかも知れない。
 僕が子供時代、あまり「痒み」を感じなかったのは、水分量というより、多分に「子供」という甘えがガードになっていたせいではないのか?
 子供は所詮甘ったれなもので……辛いことを親などの人任せにして恬として恥じない。
 問題を人任せにできる、唯一の時期なのだろう。

 しかし大人になれば、悩みは自らで解決する以外手立てがないのだ。

 結論としてはこうだ。

 「痒み」を水分量や敏感肌の責任に押し付けるのではなく、あくまでも「脳」からのサインと自覚し……面倒も乗り越え、ストレスに立ち向かう手立てを講ずることが上策なのだろう。

 たぶん「脳みそ」の方も、こっちがやる気を見せれば、まだるっこい「痒み」のサインなど控えてくれるかも知れない……

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銀騎士カート
貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。