タコ色々
性格が傾いている祟りなのだろうか、身体のバランスも傾いているらしく、左の足の裏のタコに長年悩まされている。
酷い時には足を引きづるような有り様で、どうしたのかと訊かれる時もしばしばである。
物理的原因としては、身体の左側に始終荷重がかかるせいだろう。
トートバッグは必ず左肩に掛けるし、ショルダーの類いも右肩からのたすき掛けで、左側に荷重がかかる。
左右バランスよく、交互に掛ければ良いだろうとは思うのだが……妙に片意地なところがあって、これがママ成らない。
タコを柔らかくするような絆創膏を貼ってもすぐにズレてしまうが……まあ、最近は少しはマシになってきたようだ。
足の裏のタコなどは全く自慢にもならないが……ギタータコなんかはちょっとカッコいかも知れない。それでも、タコの割には上達しないのだから、殆どファッションと言ってもいいたろう。
もしかしたら……脳細胞にもタコは出来るのだろうか?……と、あらぬコトを考えてしまう。
そう、タコというのは、荷重に対する肉体の防衛反応らしい。皮が厚くなって、大切な部分を保護したいのだろうが、そのタコが角質化して大切な部分に傷みを齎すとすれば、逆効果ではないか?
脳細胞にしても、一つの考えが凝り固まってしまうことがある。足のタコみたいにコチコチになってしまい……痛みすら覚える時がある。
足の裏のタコが運動に支障をきたすのと同様に、頭のタコも思考の柔軟性を奪うだろうことは容易に想像出来る。
足の裏と同じく、やはり頭も柔らかく保つことが重要なのだろう。
やはり、得心せざるを得ない。
性格の傾きは、姿勢の傾きに繋がり、足の裏にタコという危険信号を発するの同様に、こころも傾き、思考も傾き……ついては固い頭になってしまうようだ。
トートバッグを左右均等にぶら下げるように、考えにしても、自分と真逆の思想すらも、時には検討することも必要なのかも知れない。
いずれにしても、タコは厄介な存在だが……ふと思うに、小説を書き始めた頃、右手の中指にペンダコが出来てニンマリしたことがあった。これは、危険信号というよりも、それなりの努力賞と理解したものだ。
ところが今はどうか? キーボード入力のせいで、ペンダコがすっかりと姿を消してしまったのだ。
案ずるに、ペンを使っての書き取りもこのところサボっているのだから……いけない、……ペンダコが消えたということは、すなわち努力賞を貰う資格すら消えたというコトだろうか……