風の表情
普段は広い公園で一休みなのだが、今日は近場のスーパーの買い物とあって、道筋の、住宅街にはめ込まれたような小公園に立ち寄ってみた。
トイレも水飲み場もなく、樹木がニ、三本……それでもかなり年代を刻んだふぜいの古木が彩りを添えているだけである。
入口近くの木陰では、一人のかなり年配の男性が地ベタに寝転がっていた。もしや、死んでいるのではと危惧したが、なに、寝返りを打つのを確認して一安心。まあ、この暑さ、つい寝転がりたくもなるのだろう。
男の脇には自転車が止めてあって、よくもまあ漕げるものだと思えるほどに、後ろにもハンドルにも荷物が満載である。当の男性の、全財産ではないだろうか?
つい通りかかった犬を連れたご婦人が、どこか嫌悪の眼差しで一瞥を送ったが、はて……何を以ての嫌悪なのだろうか?
案外、当の男性は、都会の仙人かも知れないのだ。
僕は、軽く目礼を送ってから公園の奥の、木陰に自転車を止め、ベンチに腰を落した。
目の前の通りには、自動車が行き交い、その向こうには人家……駐車場を挟んで8階建てのマンションが望める。
左手は、やや狭い通りに沿って、薹の立ったマンションや人家が並んでいる。
園内には子供のためらしい、芋虫みたいな遊具が二つほど、あとはトンネル遊具がのそばっている位で、人影は先の仙人以外は見当たらない。
木陰とはいえ、やはり暑い。吹いてくる風もヘアドライヤーみたいに生暖かい。
いっそ、つい先のスーパーの冷房で涼もうかと思った時、ふと風の表情が変わったのだ。あたかも……少し待て……そう囁かれたようであった。
そう。生暖かい風ながらも、それは一様の表情ではなく、いくつもの風の帯がねじれ合い、重なり合って吹いてくる感触を覚えたのだ。
僕は、改めてベンチに深く腰を沈めてみた。
しばしの後、重なり合った風の帯の中に、冷風が紛れ込んでいるのに愕然とした。
もとより冷風とは言っても、冷房の風とは肌合いが違う。それでも、緩やかに汗は引いてゆき、寛ぎが訪れたのだ。
僕は、愚鈍になっている皮膚のセンサーの感度を上げてみる。体温並の夏の照りつけと、クーラーの冷気しか認識していなかった自分に気づかされるのだ。
知らず僕は、捩れ合い、重なり合った幾つもの風の帯の一つ一つに表情があることに気づく。たぶん、死体置き場のような冷房では感じることが出来ぬであろう……開放された、自然の優しさであった。
僕が公園に立ち寄った時間は、恐らく十五分ほどのことながら……明らかに、風の表情を僅かながら読み取れるようになったのだろう。
同じ生暖かさといっても、吹く風の帯にはそれぞれ表情がある。冷風を予告したり、同じ冷風でも、人を甘やかすような過保護の母親ではなく、いっそ厳格な祖父のような節度のある優しさなのだ。
僕はベンチから腰を上げ、自転車を押し……相変わらず胡蝶の夢に酔い痴れる仙人に改めての目礼を送り、スーパーの冷房という死体置き場に向かった。