靈韻抄 流麗
せせらぎの水面(みなも)揺れ
山の裾にて流れゆく
水音さやかに響き渡り
木々の影は揺らぎて映ゆ
其の蒼さ、限り無く
水底(みなそこ)の小石(さざれ)連なりて
陽の光に照らさるる
光きらめきひたと沈む
枝に舞ふ鳥の聲
森の奧にて響きけり
流るる水と共にして
時の調べを織りなすらむ
大河のごとき在るものは
小さきものより始まりぬ
千重に重なり遙けき
大いなる海へ歸り行く
風の調べに揺るる波
そよと吹き過ぎる瞬(またた)きを
人は見逃すかも知れねど
其れも靜けさ在り続けむ
一筋の雲たなびきて
空の涯(はて)より漂ひ來ぬ
悠遠の彼方をば見渡せば
たゆたふ影に何を想ふ
水に浮かべる花の香や
野邊に咲く草の色
ただ一瞬の在り樣(さま)に
命を湛(たた)へて舞ひ落つる
秋の夕べに照らされぬ
色濃き紅葉(もみぢ)の葉の端に
時雨がそつと滴りて
色を變ふる其の刹那
人の步みもかくの如
流れの中に在るものか
何も告げずとも消え行きて
大地に抱かれ、川に沈む
梢に揺るる月影は
夜の闇に融け行きぬ
そよぐ水面、鏡の如
遥かなる天を移し置く
鳥の羽音、風の聲
やがて見失ふ其の姿
森の彼方、山の奧
無音(しじま)の道をひたと行く
草原(くさはら)染むる朝靄よ
柔き光に包まれて
一輪の花、露に濡れ
其れもまた、はかなく散りぬ
川を渡りて去り行かば
只靜寂の中に佇みて
古き記憶も消え失せて
命の殘り、影も薄らぐ
波のきらめき、影を追ひ
移り行くことの無きものは
此の流れにまた歸り
終はり無き歌となるらむ
遠き山脈、霧の中
雲に溶け行く峰の白
其の姿ただ一瞬に
悠久の夢を奏で行く
踏みしむる道に音も無く
草葉を揺らす風ひとつ
森の彼方へ吹き渡り
永劫の息吹を運びけり
思ふこと無く佇むべし
すべての聲を聽く時に
人の心も流れ行き
あまたの時と共に消ゆ
浮き沈む波間にて
ゆらゆらと浮かぶ木の葉
其れもまた風に運ばれ
遙かなる岸邊へ辿り行かむ
此の世の姿、空の色
其れもまた留まらず
すべてのものは移り變はり
流麗の中に消えて行く
古(いにしへ)の歌、聲響け
森の奧へ、山の峰へ
人の步みの影に消え
風と共に靡(なび)きつつ
花咲く野邊の香りせば
すべての息吹もまたひそか
大地に根を張りめぐらせ
音も無く命を讃ふ
流れ行く水面に
只ひとつの形無き
空の影さへ儚くも
移り變はりて消え失せぬ
此の手のひらに掬ひし水
其の冷たさ、指先を
滑りゆき、滲むが如
消え失せぬ儚けれ
すべてのものは流れつつ
止まること無く巡り行かむ
悠久の輪の中に在り
流麗の波に抱かれなむ