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報復性夜ふかしの件
皆さんは報復性夜ふかし(またはリベンジ夜更かし)という言葉を知っているだろうか。
報復性夜ふかしとは、日中に好きなことが出来なかったことで溜まった不満やストレスを、夜ふかしをすることで解消しようとする行為のことを指す。まさにデイタイムに対する復讐(報復)といったところか。よくできた言葉だ、考えた人凄い。
なんせ俺たちの夜は忙しい。
昼間は学生や社会人として過ごす人たちは、夜遅くになってようやく自由時間を得て、入眠までにつかの間の休息を摂る。
その時間、何をするか? 無論、インターネット・ブラウジングである。昼間に取りこぼした電子情報たちを、夜になってからいそいそとかき集める。そんな夜行性の生き物がおよそ何千万匹とこの世界にはいる。
言うまでもなく、この行為は無駄以外の何ものでもなく、むしろある種の自傷行為とも言える。
睡眠時間の削減は、人間の生活機能に著しい悪影響を及ぼす。たとえば、集中力の低下、体力の低下などの諸症状に加えて、目がどこかうつろになったり、クマができたり、肌荒れを起こしやすくなったりと、ヴィジュアル面にまでもその影響は広く及ぶ。
リベンジ夜ふかしなどと謳ってはいるが、リベンジを食らうのは間違いなく自分自身である。夜にとっては痛くも痒くもない。
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報復性夜ふかしが普通の夜ふかしと違うところは、単にストレス解消(のつもり)として夜ふかしをしていることだ。要するに実態を伴わない、ペーパーカンパニーのような夜ふかしなのだ。
たとえば受験期に徹夜してテスト対策をすることや、オールナイトでクラブで踊り明かしたりすることは報復性夜ふかしにはあたらないと思う。これは普通の健全な夜ふかしである。これらの夜ふかしにはちゃんとした目的意識があり、単に日中のストレスを解消することを主たる目的としている浪費的夜ふかしとは限らないからだ。
対して報復性夜ふかしは、報復と銘打っておきながら、その報復相手がいないという珍妙な現象である。むしろ報復を食らうのは自分自身という皮肉な病なのだ。
広がる夜空を
電波に乗って
君の街まで行こう
スマホをつらつらと眺めているだけの夜ふかしは、まったく生産性のない行為である。寿命とイコールともいえる睡眠時間を削りながらブルーライトに目を奪われるのは、緩やかな自傷行為にほかならない。
しかし、生産性がないことをむしろ良しとすれば、この報復性夜ふかしにも意義が見いだせるかもしれない。
日中、我々は生産的行動をとる。バイトや事務作業であったり、授業を受けたり、それらはすべて生産的行動だ。これらへのアンチテーゼとして、帳尻合わせに非生産的な行動を起こせば、無為な夜ふかしにも意味づけができる。
人間は労働を通して社会に奉仕する生き物だ。こんな非生産的で非効率な社会の為に、あれこれ趣向を凝らして生産的な行動をとり続ける、これこそなんと無駄な行為であろう。
そんな狂った社会システムへの"報復"として、私たちは夜ふかしをするのかもしれない。