受け継がれてきた品種を守る「種の図書館」(下)
種の図書館から借りてきたマメの種を蒔いて「セコイヤの君(きみ)」と名付けた私。
ベランダで暮らすセコイヤの君との生活はそれはそれはもう平穏そのものでした。ヨーロッパ全体が雨不足で、農作物が軒並み日照りであえいでいる時だって、私はジョウロを片手にセコイヤの君のお世話にいそしんでいました。
そのかいあってセコイヤの君には2人の愛の結晶を秘めたさやが次々となっていったのです。
さやの色は花と同じく高貴な紫色。茹でてパクリといけばさぞやおいしい夏のごちそうになるでしょうとの誘惑もありました。でも子孫を残すという大きな使命を前に、それだけはなりませぬと自ら言い聞かせ、ひたすらガマンしました。
愛の結晶が大きくなるにつれて葉がだんだんと黄色くなって枯れていったセコイヤの君。さやがカラカラに乾燥してから中の豆を採取するというのが手順です。
別れの時が近づいていることを感じながら待つこと十月十日(とつきとうか)、じゃなかった、約2.5カ月後のこと。
セコイヤの君を見送った暁に玉のような赤ちゃんたちとの対面を果たしました。
「紫色がかったその姿はありし日のセコイヤの君の面影が残っている」と喜ぶと同時に「ん?」とインクがポタっと心の落ちたような、どこかふに落ちんぞみたいな気がしたのを覚えています。
ただその時は会えたうれしさが勝っていて、芽生えた不安を振り切って生まれたての子供たちをそっと高島屋のバラの袋にしまったのでした。
そしてそれからさらに1カ月半が経過した9月23日夜・・・・。
セコイヤの君の子どもたちを種の図書館に返す日を控えた前日でした。次の人が種をまくときに参考に出来るよう、説明書きを手書きで写そうとしたときです。セコイヤの君の写真と見比べてあることに気づいたのは。
あれ?色がちょっと違う?
そういえばセコイヤの君と初めて会った日の第一印象は確か「茶色くってババくさいマメ」。
でも目の前にいる子供たちは薄く茶渋が残った湯飲み茶わんのよう。白さがまさってます。
「もしやあななたちはセコイヤの君の子どもたちではない?」
慌てて思い出のアルバムを開きました。
2人で過ごした2022年の夏が映った数々の写真たち。ある1枚で手が止まりました。
そこにはセコイヤの君にしなだれかかるスナップエンドウさんとの2ショット。
仲睦まじく微笑みあう関係はただの隣人では醸せない雰囲気ではありませんか。
やられた。もしや生まれたのは彼女との子どもたち?・・・裏切られたのかもしれない。あんなに尽くしたのに?
病気にもならず、害虫からも守ってあげたのに、知らない間に悪い虫がついていたなんて・・・・。ああ、こんなことならスナップエンドウさんと同居させなければよかった。開花時期が少しズレてるから問題無しと決めつけたのがバカだった。。。
恨みつらみの次にこみあげてきたのは怒り。説明書きには「セコイヤのサヤは繊維がなく繊細な味わいがあります」ってありました。子孫繁栄のために食べるのをグッとこらえたのに。あの時食べてしまえばこんな屈辱を味あわなくてもすんだのに。。。
翌日、うちひしがれながら12粒の子どもたちを連れて図書館へ行きました。この日の図書館の一角に色んな種を前に座っていたご夫婦が陣取っていたので早速こどもたちを見せながら事情を説明して窮状を訴えました。
えっ、そんな簡単な結論?セコイヤの君の子どもでいいの?
有用植物が専門の同僚にも同じ質問をぶつけると、
「マメは交雑しない」とキッパリ。疑ってごめんなさいと詫びながらもセコイヤの君の面影薄い子どもたちを見てはそれでもまだ疑う私。よしこうなったら来年は子どもたちを蒔いて白黒つけてやりましょう。
「種の保存」をうたった志高い自由研究だったはずなのに昼のよろめきドラマのような展開になってしまいました。
いえいえ、初志は忘れておりませんよ。ただ、受け継がれてきた品種を守るのは存外、楽じゃないということをとりあえず今年の結論として、来年改めてご報告させて頂きます。
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