無色透明であることをめざす。
斉須政雄さんの『調理場という戦場 「コート・ドール」斉須政雄の仕事論』を読んだ。本の中で「ぼくにとって本は栄養です。言葉は最高の食料なのです」と斉須さんは言う。この本が、わたしにとってのそれだと、読んだあと思った。
言葉にしてしまうとひどく簡単になってしまうけど、「誠実な仕事」「誠実な人間」とは何かがたくさん詰まっている。
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単身フランスに渡った斉須さんが出会った最高の人たち。彼らはみな、「ふつう」の人だったという。「ふつう」とは何かを、同著の中で斉須さんはこんな風に言っている。
すごい人は「無色透明」だから、眺めるのではなく見つめないと、そのすごさがわからない。そうありたい、と斉須さんは言う。
……この一節を読んだとき、自然と、自分にとって大切な大切な教科書である『取材・執筆・推敲』の一節が思い浮かんだ。
ライターは、最初「わたし」のいない文章を求められるけれど、キャリアを重ねるうちに「わたし」を出すことを求められるようになることがある。自分だけの文体を獲得しなければならない。
「わたしだけの文体」とはなにか。
「無色」な文章を完璧にめざすことはむつかしい。「わたし」が書く限り、「わたし」の色(文体)はどうしても出てしまう。けれど「わたし」以外の色を混ぜない、「透明」な文章をめざすことはできる。無色透明な文章をめざすことで、「わたしだけの文体」を示すことができる。
文章を眺めただけーーさらっと読んだくらいでは、「わたし」はわからない。じっと見つめられたとき、「わたし」が現れるのだろう。そんな文章。
在るべき姿も、書く文章も、「無色透明」。それを見つめると、「すごさ」や「わたし」が隠れている……めざしたいところだなあ。
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