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この、しわくちゃな袋は夫の宝物だった。


「ねぇ、俺のいつも使っている袋知らない?おかしいな、どこ行ったんだろー」


それは結婚して2ヶ月が経過した頃、
石垣島への旅行に向けてパッキングをしていた時だった。

竹富島、鳩間島、黒島、波照間島、8日間かけて各島の民宿に泊まる予定だった。 

「袋、なんのこと?」

私はぽかんとする。あ、心当たりがあるとすれば、夏への衣替えで夫のクローゼットも少し整理した。そこにしわくちゃな袋が転がっていたのだ。不要な服と一緒にゴミに出す為これからゴミ袋に入れるところだった。

まさかと思いながらも、その袋を探す。服がランダムに山積みされたその隙間に、しわくちゃな袋はかろうじて生き延びていた。 

 「もしかして・・・これのこと?」


 私は、靴下でも触るかのように、顔を引きつりながら手でつまんでブランとさせる。


 「そう、それだよ!!」


 さっきまで放っていた緊張感が一気に弾けて夫がほっと肩をなでおろす。 


「え、これゴミじゃないの?袋ならキッチンの棚の上に沢山あるよ」と私が言うと、
夫の顔がムッとした。 


「ゴミじゃない。この袋は俺にとって宝物のような、友人のような存在なんだよ」


「た、宝物?友人?」 

私の頭の上ははてなマークでいっぱいだ。 ただの袋を、こんなにもボロボロになっているのに側に置いておく夫の思考に。
いや、これが初恋の子にプレゼントされた物が入っていた袋とかなら、かろうじて理解はできるけど。


 「この袋はね、高校生の頃にオーストラリアでホームステイした時にパッキングした袋なんだよ。」 


「それからもこの袋でパッキングして20カ国以上は行ったから、友人のような存在なの」


「世界で沢山の景色をみる」これは彼の10代からの夢だったそうだ。
初めて海外へ飛び立つ時、不安と緊張と期待が入り混じりながらパッキングしたこの袋はそれからも旅を重ねては、夫の心の友のような存在ということか。

 私は年季が入ったものなどはバンバン捨てるタイプだから、少し理解には苦しむけど、なるほどね、と思った。


 かつての私だったら「こんなボロボロの袋みすぼらしい!」と捨てたりせざるおえないけれど、もう色々と経験した大人だ。 彼が価値を感じる「何か」を尊重するくらいの良心は持ち合わせている。

 そして、夫は高価なものや、見栄えがいい物に全く価値を感じないタイプ。

ちなみに、彼の父親は対照的でいい車に乗っていい時計をつけたい人。

昨年実家にお邪魔した際に、義父は高級時計を新調した直後で、時計を眺めながらうっとりしていた。 

「この時計は、少ししたらお前に譲るからな」

これに対して夫は「俺は高級時計は興味ない。Gショックで十分」と言い放った。 

貰える物はもらっとけばいいじゃん!と心の中で叫んだが、そう、これが彼の価値観なのだ。 

そして最近はこの袋の出番はあまりない。
子供が産まれてからの家族旅行は私がまとめてパッキングするからだ。 

だけど、不意にこの出来事をnoteに綴ってみようと彼のタンスをゴソゴソした。さすがにもうないかぁと思いながら、1番下の段の奥の方にその袋はかろうじて生き延びていた。 

「あ、あった!!!」

3年ぶりにその袋を見つけた時、あまりの嬉しさに声のトーンが2オクターブ上がった。

 そして、その時に気づいた。この袋は私にとってもゴミではなく、ガラクタになっていることに。 

彼の宝物は、私にとってはガラクタで、決してゴミではない。

市場的に価値はないけれど、やっぱり理解には苦しむけれど、彼の大切なものなら置いておこう。また、反対もある。彼も私のことで理解に苦しむことはたくさんあるだろう。

 そう思うと、我が家は互いのガラクタと、互いの共通する宝物で溢れていた。 


こんな所が夫婦って面白い。人の価値観って面白おかしい。

 

宝物2号も発見。

他にも3枚ほどしわくちゃな袋はあったけれど、かろうじて2枚生き延びていた。 

う〜ん、にしてもこの袋年季が入っている




今朝、夫と珈琲を飲みながら、「子供が成人したら、2人でどこにいく?」とこんな会話をしては妄想を膨らませた。

世界のあらゆる景色をみることを、ほぼ叶えた夫は現在は夢のあと。

だけど、その夢のバトンは夫婦になってからも形を変えて生きる希望になる。

こんな会話がきっと、ささやかな夢へと橋渡ししてくれると伴に、「今」この瞬間を充実させてくれる。


そして、そんな未来が訪れたら、
このしわくちゃな袋で一緒にパッキングしようか。

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