有己无人ーー「期待しているよ」という気持ちの強盗行為
(1502字・この記事を読む所要時間:約3分 ※1分あたり400字で計算)
【有己无人】
ピンイン:yǒu jǐ wú rén
意味:自己中心であり、自分のことだけを考え、他人を気にかけないこと。
『「期待しているよ」という気持ちの強盗行為』
人生においての悩み。
そのほとんどが、人間関係から来るものだというのを、どこかで聞いたことがある。
中でも、「期待する」ことによって発生した人間関係トラブルは、ひょっとしたら悩みの大半を占めているのではないか。
成り行きに任せておけば心地よくいられたものを、欲が出てそれだけでは満足出来ず、客観的な事実を都合よく自分にとって益になるよう気持ちを込め、力を加えてしまう。
そんな「相手に期待を持つ」ことを通して、人はなんと愚かに自ら悩みの種を増やしているのか。
「期待しているよ」
一字一句言葉に出さなくても、これを暗示するくどい言い回しや、全面的にグイグイ押してくる態度を感じると逃げ出してしまいたくなる。
単に「君なら、君らしい方法で上手くやれるだろう」という、単純でポジティブな気持ちから来るものならまだしも、
「期待しているよ」
の裏には、大抵発話者が前もって決めつけた基準があって、こうなるべきであろうという枠組みがある。
だから自分なりに一生懸命取り組んだとしても、その「基準」と「枠」から外れてしまうと、今度は責めるような目つきでこう言われてしまうのだーー
「期待していたのに」
そんな悲しそうな顔をされても、こっちからしたら、知ったこっちゃない。
勝手に決めつけて、勝手に期待されて、勝手に失望されても全くもって迷惑な話だということだ。
加えて、それで関係がこじれてしまうことでさえある。
こうなってしまうならいっそ、最初から具体的にどうして欲しいのかを提示してもらいたい。
曖昧な指示だけで後は丸投げをするというのなら、それぐらいの誤差は大目に見て欲しいものだ。
またもう一つ、こういった「期待」があるーー
他人からの「リアクション」を求める行為だ。
善行を行ったとしても、どうしても多少見返りを求めてしまうのが人間の性。
これはある程度仕方がない事実なのかもしれない。
だが、たとえそうだとしても、相手の為に何かをしたからといって勝手に期待して勝手に失望するのはやめましょうという話。
恩着せがましく親切されるぐらいなら、いっそのこと放っておいて欲しいものだ。
殊に頼んでもいないことを強引にやらされ、感謝だの喜びだのといった「リアクション」を引っ張り出そうとする行為は、もはや強盗されているようで心地よいものではない。
そこで期待外れし、「せっかく人が親切にしてやったのに」と小言を言われても、そっちが一方的に自作自演しているだけで、私はただそれに無理矢理付き合わされただけだよねと叫びたくなってしまう。
ーーと、ここまでつらつらと文句を述べてしまったが、かくいう私もつい他人に対し「期待」を持ってしまう人間。
そうである故に、このエッセイは訴えと同時に、自戒の意も込めて書いている。
私なりの改善対策として、常に
『相手が相手に合った生き方で、相手らしくしていれば良い』
『他人への善意は全て自己満足であり、エゴである』
と自分に言い聞かせ、気を付けるようにしている。
そして、たとえ予想していたこと違いショックを受けたとしても、『それはただのわがまま』だとしっかり自認することだ。
意図的であれ、無意識であれ、人に対し「決めつけ」をしてしまった自分が全部悪い。
ましてや、この不愉快な感情を関係の無い相手にぶつけるなんてもってのほかである。
気持ちを、感情をどう表現するかは人それぞれの自由であり、権利でもある。
お互いの権利を尊重し合えないうちは、人間関係トラブル・悩みが絶えないのも当たり前なことなのだ。
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