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Tips #22:過干渉の根本にある「自由の無い選択の自由」

自分だって自由に「好き・嫌い」を選択して生きているのだと認識出来れば
相手の「好き・嫌い」の選択をも受け入れることが出来る

相手の「好き・嫌い」をきちんと尊重出来れば
自身の「好き・嫌い」も、もっと大胆に恐れずに追い求めることが出来る

「選択」は権利

【生き方のコツ💬】

(813字・この記事を読む所要時間:約2分 ※1分あたり400字で計算)
 
 子供の頃、
 
「AとB、どっちが良い?」
 
と聞かれて「Aが良い!」と答えても、それが大人達が期待していた答えでなければ長々と説教をされた。
 
 Aが如何に馬鹿げた選択肢なのかとか。
 自分だったら絶対Aにしないのにとか。
 Bの方が素敵に見えるのにとか。
 Bを選んでくれないと困っちゃうなーとか。
 
 それで結局しぶしぶBを選ぶことになり、最終的に全然期待していない結果となることが多かった。
 
 言わば「自由の無い選択の自由」
 選択の権利があるようで無い、陰湿な観点の押し付けと意見の過干渉でしかなかったのだ。
 
 それが窮屈で嫌だった私は、自分は絶対にそんなことはしない、相手の意見をちゃんと尊重出来る大人になりたいと心に決めた。
 
 
 けれども、家庭教育と成長環境の影響というのは恐ろしいもので、知らず知らずのうちに私もそのような思考の癖が育っていた。
 当初の家の大人達がやったような観点の押し付け・意見の過干渉を他人に対しするようになったのだ。
 
 相手に自由に選らばせているようで、いざそれが期待した結果でなければ表情が硬くなる。
 「それよりさ~」と別の選択肢の魅力をグイグイ紹介しては、なんとか考え直してもらえないかと試みる。
 
 
 そして他人に対してだけではない。
 
 自分自身に対しても、私は過干渉を行っている。
 
 
 ひとり立ちした今でも、脳内のどこかでは「大人」が存在していて、私の日々の選択に口出ししては「もっと良いやつ」を選ばせようとする。
 成長過程で植え付けられた「基準」で物事を判断し、自分を束縛してしまう。
 
 だから今でも窮屈なまま。
 大人になった今でも、私の本当の気持ちは尊重されないままなのだ。
 
 
 学校のテストと違って、人生には絶対的な正解・間違いなんてあまり無い。
 窮屈から抜け出したいのなら、まずは心の中でガチガチに固まった「基準」を打ち破らないといけない。
 
 皆それぞれの状況と立場での最適な選択をしているだけ。
 
 誰かにとっての最善が、必ずしも他の人にとって適切だとは限らないのだから。

📚その「基準」、偏って無い?

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