闻过则喜ーー「指摘」は心のワクチン、怖くないよ!
(1663字・この記事を読む所要時間:約4分 ※1分あたり400字で計算)
【闻过则喜】
ピンイン:wén guò zé xǐ
意味:他人が自分を指摘するのを聞いて喜ぶ様。謙虚に人の意見を聞けること。
『「指摘」は心のワクチン、怖くないよ!』
ワクチンというものがウイルスや細菌をもとに作られていると知った時、非常に衝撃だったのを覚えている。
ウイルスや細菌をサクッと殺してしまう「何か強そうな物質」を体内に注入することで、身体能力をパワーアップするものなのかと思っていたが、まさかウイルスや細菌そのものの一部だったとは……いやはや。
特殊な強化物質を使うのではなく、「異物から体を守る」という身体の本能を刺激して免疫力を高めるという、実にシンプルな作法だったのだ。
人間、過度に清潔に保たれた環境よりも多少の菌があった方がより丈夫になるというのも、こういうことなのかなと思う。
普段からたくさんの「外敵」と出合っては戦い、それを繰り返しながら人体はどんどん強くなっていくのだ。
ワクチンによる「副反応」というのも、その「戦い」の一つだ。
無毒化しているとはいえ、ウイルスや細菌の一部であるのは変わらない。
それで自然感染と似た症状が一時的に起こってしまうのだが、この異物との「戦い」に勝った後、身体には抗体が出来る。
強くなる為には、避けて通れない道なのだ。
さて、何を言いたいのかというとーー
われわれの心に「異物」が入った時も、身体と同じようにこういった「副反応」が起こっているのではないか。
ミスして叱られた時。
反対の意見を言われた時。
足りないところを指摘された時。
頭では相手に一理あると分かっていても、心はなかなかすんなりと受け入れてくれない。決まってこんな反応が起こるーー
「なにさ!!!」
それからしばらくの間はずっとモヤモヤしていて、不愉快になってしまう。
脳内も忙しくぐるぐる回る。
「なんだよ偉そうに」と指摘した相手を恨んだり、何か理由をつけてなんとしても自分を正当化しようとしたり、全て投げ出そうかと考えてみたり。
怒りと恥ずかしさで顔が火照って熱く感じることだってある。
ところが、だ。
一日が終わり、ご飯を食べて布団に入り、ぐっすり眠って次の日になるとーー
「まあ、でも自分も悪かったよな……」
と不思議に心が穏やかになっている。
昨日はあんなに頑として自分の否を認めようとしなかったのに、今は同じ過ちを犯さないようにと謙虚に反省をしている。
「あの不愉快はなんだったんだろう」、と。
「その場で指摘を受け入れ、反省出来れば良かったのに」、と。
ただ、私はこの「不愉快な感情」も一種の「副反応」であり、本能的に働くものなのでしょうがないと思っている。
指摘されるというのは、まさに「コンフォートゾーン」に突如「異物」が投げ入れられ、それに対応しようと心がパニックになっている状態ではないだろうか。
処理しきれないうちは不機嫌になったり逃げ出したくなったりするも、時間が経つと順応してくる。心が「異物」に慣れ、受け入れる体勢が整うのだ。
そこでようやく冷静になって自分を見つめ直せるーー
「悪気はなかったけど、私の態度は確かに相手をイラつかせるようなものだったかも」
「今回は間違いなく私のミスだった。次からはそうならないようにしよう」
「自分の欠点に全然気づかなかった。でも、あの人が言ってくれたから、これからはもう恥をかかずに済む」
……
こうして身に付けた「抗体」が「反省力」そのものとなり、このようなプロセスを繰り返しながら、心は少しずつ少しずつ成熟していく。
不快感と戦わずに現実逃避してしまうと、「抗体」が作れない。
丈夫になれないのだ。
「反省力」が弱いと、心は小さなことでも落ち込みやすくなる。
置かれている境遇を客観的に判断出来ず、過度に傷ついてしまう。
身体がワクチンを受け入れ全力で副反応と向き合うように、心も「指摘」というワクチンから来る副反応を素直に受け入れることが大事だ。
「心のワクチンが打たれた」と思えるようになれば、指摘されることも少しは怖くなくなるのかもしれない。
強くなれる機会だと思って、ありがたく指摘を受け入れられる、そんな自分になりたい。