夢と自己実現と毒親ブロック
就労支援施設のスタッフのバイトを始めた私を見て、「アンタにもし、本当に心理や福祉の仕事が出来るなら、まずは自分の両親にももっと優しく色々してあげられるはず。だけど実際は出来てないじゃない!だからアンタには人と関わる仕事は無理!絶対出来ないし、向いてない!しかも繊細やし!」と母は言う。
母は過干渉ないわゆる毒親で母へは私なりに色々配慮や声掛け、大袈裟なくらいの感謝を始め色々やっているつもりだけど、実際は底に穴の空いたバケツ状態で、私が母にした事は何も覚えてなくて、逆に母が私の都合お構いなしでしてきた事へはしっかり恩を着せて、恩返しがまだまだ足りないと事ある度に言ってくる。
そもそも母は何事も批判的に捉えるので基本的に常に腹を立てているし、支配欲が強くて自分の思い通りにならないとすぐ「だからアンタは情が無い」「恩知らず」「自分勝手」「アンタの為に」「だから結婚できない」「そんな性格だからアンタを好きになる人なんて、男も女も誰も居ない」「私には価値がない」「死にたい」など言っては私をコントロールしようとする。
とは言え最近は私もしたたかになって、母から多少否定されても「それって、私を言うこと聞かせようとして言ってる?(笑)」と茶化してうやむやにすることもある。親子関係はなかなか難しいなとつくづく思う。
✳︎これまでの親子関係✳︎
私はこれまで母には極力譲歩し、出来るだけ母の意見を尊重して、と言えば聞こえが良いけど、実際は母が癇癪持ちで相談がままならないので、言いなりにならざるを得ない、という生き方をしてきた。なので、理不尽にイライラをぶつけられること、母の思い通りにならないと人格を否定されること、物を投げつけられること、中学時代から最近まで父が私にAVを見せてくることを母に何度相談してもスルーされたことも責めないし、大学に入るまでは食べきれない量の食事を無理やり食べさせられても根性でゲロ袋に吐きながら食べ続けたし、一方では母の育児が正しかったと証明するために完璧な娘を目指して勉強や生徒会活動に人一倍励んだり、母の命令に従い準公務員的な仕事に就くなど、割と母の期待を最優先に過ごしてきた。そしてその結果、外面的にはまぁまぁの「優等生」として仕上がったつもりでいる。まぁ、準公務員的な仕事は結局途中でドロップアウトしたけど。
そして両親が不仲な為、ワンオペの母を助けるために、5歳の時に弟が生まれて以来ずっと「夫や父親の役割は私の担当」という意識で生きてきた。だからどうしても同世代の男子を見ても、つい物足りなさや「私の方が断然男らしいやん」と感じてきた。(そりゃそうだ。同世代の普通の男子と比べれば、私の方が断然「誰かを守り、戦う男」としてのキャリアはぶっちぎりに長いのだから。)
✳︎退職を機に母の期待に応えるのも辞めた私、母との関係✳︎
そして私は、今回準公務員的な仕事を辞めたと同時に、そういう母の期待に応えすぎたり、父性を背負い込むような生き方を辞めた。
私は聖人君子でないと、心理や福祉の仕事に就けないのだろうか?
働いている人は皆、聖人君子なのだろうか?
母の望みを全て叶える完璧なスーパーマンでないと私は生きている価値がない?
私が居るから離婚できなかった?
私の話し相手を作るために弟を生んだ?
母の不幸の元凶は私で、私は母の人生の責任を負う義務がある?
母は私にそう言ってくるけど、私はそうは思わない。母には母なりにそう思うに至ったあれこれがきっとあるのだろう。でも私の考えは別にある。
人は完璧ではなく、個体差という凸凹があるからこそ人間なのだと私は思う。だからこそ、人には相性もあるし、計算できない良いこともそうでないことも起こりうる。それこそまさに、人生の醍醐味なのだと私は思う。そして人生で最終的に決断しているのは自分自身で、冷たく聞こえるかもしれないけど、親子といえどもそれを他人に押し付けるのはやはり、問題から目を逸らすための一種の逃避だと思う。
とは言え私が子供の頃から今に至るまで何を言っても母はいつも逆ギレする。私はこれまでしてきた「子供の頃に埋まらなかった母の心にある穴を私が代わりに埋めてあげること」を退職と同時に辞めた。その代わりに、今は肯定的にただただ話を聞いて、気づきを促したり刺激をするような言葉はあえて避け、出来るだけ受容して、まずは信頼関係を築くのを目指して接している。
こういう言い方をすると他人行儀に聞こえて冷たいのかもしれない。でも今の私が思うのは、母のこういう歪んだ認知が少しでも楽な方に行けば良いなというのと、私自身が母の意向に飲み込まれすぎないようにしようということ。
親子関係、ホント色々あるよね。
✳︎親になること、母の生き方✳︎
親になるのに資格は要らない。だからこそ、しばしば過ちが起こる。だから「多少の過ちは当然あるもの」という前提の元、子育ては包括的に行われることが大切。だから本来は周囲に助けを求める事は恥ずかしい事ではないし、むしろ堂々と声を上げるべきで、声がないと、助けたくてもなかなか気づいてあげられない。
けれど母は子供の頃から1人で周囲の期待に応え、求められてもない自己犠牲をする事でようやく自分の価値があると捉えて、相手からの見返りがないと言いながらいつも怒っては「死にたい」「全て私が正しく、全て周囲が悪い」と責める事で虚勢をはり生きてきた。実際は私も含め、周りは皆そこまで母に自己犠牲を求めてないのだけれど、母には今も昔も母自身のことしか目に入っていない。
✳︎これからの母に向けて✳︎
私も母のような価値観で生きてきた時期も長いので、世界がそういう色眼鏡で見えてしまう気持ちもよく分かる。でもだからこそ私は出来れば母には相応の自己肯定感を持って貰えれば良いなと思うし、だからこそ、引きこもりではなく外に複数の居場所を持って欲しいなと思う。
けれど元来の母の性格や何かとケチをつけたり、勝手に過剰に世話を焼いて突然キレたり、いかんせん常に怒っている人なので、実際はTVばかり見てゴロゴロして毎日をすごしていて、どうしても友達は少ない。そこにきて更にコロナで人と出会ったり集うこと自体難しく、刺激の少なさからか、最近の母には顔の皺以外にも身体や話を理解する機能の衰えを何かと感じる。
✳︎親子関係の難しさ✳︎
別に諦めたわけではないけど時々思う。子供の頃から、そういう生き方しか知らない母に、今になって気づきを得て変化する事を求める事は酷すぎなのかもしれない。そして母が毒親になったのも、身体障害に加え自閉症的傾向のある父との結婚を交際期間0日で決断したその心の闇や、そこに至る生育歴を鑑みると、一概には責めきれない。そしてまぁ別に、例え親子関係が上手くいってなくても案外特別な事ではないのかもしれない、と。
古来より、父母が働き祖父母が孫を育てるケースは多く存在しているし、戦国大名も父を殺すケースは多いが祖父を殺すケースは少ない。親が働きながら直接子供の面倒を見るという、親子が直接関わるという関係性はごく近代からで、文化人類学的視点から見れば、まだまだお試し期間中なのかもしれない?なんて思ったりもして。
✳︎親ブロックと自己実現✳︎
いくら「あなたの為」と言われても、私はもう大人だし、ぶっちゃけ幸せに生きてない人による「幸せのアドバイス」ほどいい加減なものはない。
そして繊細さは、私にとって武器でもあり、弱点でもある。だからこそ、今私は自分と他者との境界線を何より大事にしている。そしてその境界線を強化したり試すための修行の場の一つが、こういった母との対話であると私は捉えている。
というわけで、いかにしてうやむやに、かつまろやかに自己実現するか。いかにして波風立てずに自分らしく自分の人生を歩むか。
まぁ、ゆっくりじっくり考えよう。