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発達障害を持つ家族あるある。感謝を求め無駄な期待をした自分に苦笑。

昨日、貼らないカイロを欲しがっていて、結局見つからず出かけて行った父。うちの父はおそらく発達障害。基本的に、同じ事を繰り返すのを好み、雪だろうが正月だろうがコロナが流行っていようが毎日同じルーティンをこなす為、出掛けて行く。

それで今日、父の為に貼らないカイロを買ってきて渡したけど、ノーリアクション。

感謝の言葉が出るかな?と思って試しに4回くらい話を振ってみたけど(しつこい(笑))結局、スルー😅

私が物心ついた頃から、うちの母は毎日父に癇癪を起こしていて、夫婦仲が良かった記憶はない。と言うより正確に言えば、夫婦仲が悪いというより、父は昔も今も「ただの同居人」という感じ。家の中には指示や注意以外の会話は無く、父は常に何があっても「我、関せず」という関係性。

たまに、意味不明なことで怒鳴ってきたり、馬鹿にしてきたり、女性の性的なものによる集中力の欠如がハンパないのと、若い頃はギャンブル依存もあったけど、基本何もせずただ構ってちゃんでおうむ返しする以外は居るだけの存在。

そして母はワンオペなのにやたら見栄っ張りでマウント思考の批評家でプライドが高いから、結果一人で自己犠牲して報われなかったり、夫や子供が期待を下回る行動をとってしまい、結局常に自分の思い通りにことが運ばず、不満だらけでいつも癇癪を起こしてキレていた。

母は父や私に八つ当たりして、代わりに弟を当てつけの様に疑似恋人として甘やかした。一方私には毎日母の愚痴を聞き、母を慰め、父の代わりに母が父に求める日曜大工や電化製品の設定、メンテナンス、重い物の代わりに持つことを代わりにやったり、母と一緒に父の悪口を言ったり、母と一緒に父に対して意地悪をするよう求めた。それでも母の満たされない気持ちは埋めきれないようで、母のストレスの捌け口として、吐いても尚食べ物を無理やり食べさせられたり、締め出されて長時間外に放置されたり、母の思い通りの振る舞いをしないと毎回「あんたはお父さんそっくりやね」「あんたって冷たい子」「あんたは性格悪いから誰からも相手にしてもらえなくて寂しい人生を送る」「あんたは何の取り柄もない」「あんたが生まれたせいで私は離婚出来なかった。私はあんたの被害者」などと言われるといった虐待的な振る舞いや、母の気にいる服でなければ玄関から出してもらえなかったり、勝手に私物を捨てられるなどの過干渉や罵倒、癇癪が私が30代になってもずっと続いた。

それでも私は子供の頃からわりと最近まで私が生まれた事で母の人生を狂わせてしまった責任を果たさなければならないと思い、母のサンドバッグにならなければいけないと思いこんでいた。

それで私は、家では母の言いなりになり、「何も取り柄がない性格も悪い娘」として母の怒りや不満を受け止め、癇癪を起こして途中で投げ捨てた家事や子育て(弟の世話)を代わりに担い、外では勉強や生徒会活動、大人になってからは、母が好む会社に勤めて過度に保守的な会社で過労死寸前まで頑張ったりして「自慢の娘」としての役割を精一杯果たすよう努め、真逆の二重生活を送りながら歳を重ねた。

そして私は30才を超えた頃から会社でもセクハラやパワハラに悩む様になったのをきっかけに自分の行動パターンや考えグセへの関心や組織心理学への関心を持ち、次第に父の発達障害や母が毒親であり、カサンドラ症候群で40年近く適応障害気味なこと、私がアサーティブなコミュニケーションが苦手ということや私や弟の自他に厳しい完璧主義に気づいた。

私は心理学に出会った事で「全ては私と父が存在している事が悪い。母は被害者。私が生まれた事で父との離婚のタイミングを逃した。私には母の人生を狂わせた罪と責任がある。だから母は守ってあげるべき存在」という母の刷り込みが外れ、見えていた世界がぐるっと180度反転した。

「母の人生を幸せにするのも不幸にするのも母自身。その責任を負うのは私じゃない。私は私の人生に集中して良い。家庭で身につけられなかったコミニュケーション技術やその他諸々も、気づいた今から学び、身につければ良いだけ。」

気づいた当初は母に対して怒りが湧いた。しかし数年かけて、怒り以外に母の孤独も完全ではないけれど、少しだけ触れる事ができるようになってきた。

例えば母自身が風邪をひき、熱を出した時に夫に「今日、私は高熱なので娘を風呂に入れて欲しい。」と朝に言っておいても「会社の人が徹夜で麻雀するらしいから今日は帰らない」と電話がかかってきたり、例え今日は娘を風呂に入れてくれても、翌日も同じように依頼しないと風呂に入れてくれない、という事が積み重なる中で、次第に夫に対して期待しなくなったり、自分が全てをやり遂げないと子供が死ぬという重圧感の中でもがく日々。

当時の母は今の私と同じ位の年代。多分その重圧はいまだ独身の私には理解出来ないくらい寒々しい孤独感と恐怖で耐え難いものだったのだろうと思う。

そのように、心理学と出会ったことで私にこびりついた「母の価値観」という色眼鏡に気づいたことで、見える世界が反転した私は家族に対する認識も大いに変わった。

「父は私を愛していないのではなく、他人を愛したり関心を持つ機能をそもそも持ち合わせていないのだ」

「父が私にやたら傲慢な態度を取るのは、アサーションを身につけていないこと、そもそも語彙が少なく表現力が乏しいこと、共感性が低いこと、これまでの人生(幼少期や夫婦間や学校や会社など)での成功体験が少なく自己肯定感が低いから。そして相手が私なのはたまたま丁度いい存在だったから。ただそれだけ。

母から甘やかされて育った強気でエリートな弟に比べ、「不出来」な私にせっかちな母はイライラして粗末に扱い、父は単純に母の言動を真似してあいのりしていただけなのだ。シンプルに手近にいてマウントを取りやすかったから。それだけの理由で子供の私に対して傲慢に振る舞ったり性器を見せるなどの嫌がることをして、自己肯定感を獲得しようとしていたのがいまだに習慣化しているだけなのだ

ならば父へはアサーティブに「止めてパンツを履く」よう具体的に伝えると共に、父が出来ること、父自らやった良い事や人畜無害な事のみに私がポジティブなリアクションを返して安全な形で承認欲求を満たせば、きっと関係性は改善できるはず。そしてその試みは成功し、父は性器を見せて来るのをやめた。

「母が私を罵倒する内容は事実ではなく、母の思い通りに私を動かす為の魔法の呪文として言っているだけ。だから私は母の言葉を真に受けて傷ついたり、自分を卑下する必要は無い」「母は自分勝手な自己犠牲と完璧な息子と娘の存在でギリギリ自分の存在価値を保っていた。周りの顔色を見て育ち、嫌嫌自己犠牲をして、感謝をひきださないとあと受け入れてもらえた実感がないまま大人になり、その自己肯定感の低さゆえ自己犠牲で、身体障害者でダメンズの父に惹かれた。そんな共依存な夫婦関係や親子関係にも表れている『私はいつも被害者』と言いながら常に怒り、全て自分の思い通りにならないと癇癪を起こす母の内側にある弱さや脆さ」。

サザエさんやちびまる子ちゃんやクレヨンしんちゃんのように、指導や注意以外の会話があり、皆が笑顔でいる家庭って現実でも存在してるんだ・・・と知った時の驚きとショック。

でもそう気づいたおかげで、長年かけて父や母はどういう人物だったのか。どうして我が家は「クレヨンしんちゃん」の家になれなかったのか、を考えるようになった。そしてそのうち、私なりの言動の仕方が分かり、結果、私は随分救われ、少しずつ父や母との接し方も分かる様になり、わずかながらも家の雰囲気も柔らかく変わってきた。

それでもたまにこうやって、「ありがとう」と言ってもらえないことが物足りなくて、4回も買ってきてあげた話を振ったりする、ちょっと意地悪な自分がまだいる。

定型発達であれば、空気を読んで「ありがとう」と言ってくれたりするような状況でも、発達障害だから察するのが苦手なので、何度言ってもスルーし続ける、という面はあるとは言え、そもそもカイロを買ってきたのは私の判断で、それにどうリアクションするかは父の自由。それは発達障害が有るとか、無いとか関係ない。なのにありがとうを期待するなんて、結局母と同じように他人を操作しようとしている。

そんな自分に気づき「ハッ!」とする。

子供の頃からずっと、父の発達障害疑惑を伝えた後も受け入れきれない母が、毎日父に対してキレているのを見て、嫌な気持ちになってきたのに、自分もキレはしないけど「ありがとう」を求めて、「今日、カイロを買ってきたんだー」と4回も言ってる壊れたレコードの様な滑稽さ。思わず笑わずにはいられない😅

期待しても無駄なのを知っているはずなのに、期待して空振りして、まだ求めようとした自分に苦笑。学ばないなぁ、私😂

人間、まぁ、そんなに毎回完璧にはいかないよね。

ぼちぼち、やれる範囲でマイペースにいこう。

そんな雪の日😅

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