【映画所感】 マッドマックス:フュリオサ ※ネタバレ注意
チャプター1だけで、もうお腹いっぱい
5章仕立てからなる本作『マッドマックス:フュリオサ』。
前作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のストーリーが、ほぼ数日間の逃避行を描いたものだったのに対して、20年の長きにわたる復讐譚を丹念に紡ぐ。
意外や意外、フュリオサの少女時代にかなりの時間が割かれる。邪悪なバイカーたちに捕まり、連れ去られたフュリオサを、必死に追う母親。
砂漠をバイクで疾走するチェイスシーンからのアジト潜入、そして救出シークエンス。冒頭から畳み掛けるスピード重視の演出は、ジョージ・ミラー監督の真骨頂。
“マッドマックス”の世界線がスクリーンにもどってきたと、多くのフリークが拳を振り上げるにちがいない。
まずは今作のヴィラン役、ディメンタス(クリス・ヘムズワース)が駆る異様なバイクに度肝を抜かれる。
大型バイクを3台連ねた、ローマ時代の競走馬のようなシルエット。近未来に突如として現れた『ベン・ハー』(1960)の様式美なのだ。
感心すると同時に、思いっきり笑ってしまう。真紅に染まったマントまでなびかせてくれるのだから、冷静に考えれば不真面目この上ない。
そんな強烈なアイコンを先頭に、収奪・略奪を繰り返しながら、砂漠を激走する凶悪バイカー軍団。
全身白塗り、今にもコンテンポラリーダンスを踊りだしそうな“ウォーボーイズ”のひとりから聞き出した情報を元に、ディメンタスは、イモータン・ジョーが支配する恐怖の砦へと赴く。
ブラフとハッタリはお手の物。バイカー軍団をまとめ上げるディメンタスの大げさで煽情的な演説は、かのアドルフのパフォーマンスと相似。
かたや、イモータン・ジョーは、信仰心を巧みに操り、従順な信者(戦闘員)を増やしていく、新興宗教の教祖そのもの。もちろん、いびつな一夫多妻制。
水と油のようなふたりが出会うことで、一触即発の緊張感が走る。
ここから『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』の強烈なキャラクターの面々が次々と復活。さながら超絶問題児が集まった底辺校の同窓会のようにも思える。
最終的にジョーとの取引材料に使われたフュリオサは、母の仇、ディメンタスへの復讐のチャンスを伺いながら、苛烈な環境を生き抜く。
より賢く、より逞しく。
個性派集団の中でも今回、新キャラクターとして登場する警護隊長ジャック(トム・バーク)が、雰囲気抜群だ。
職人気質でもってミッションを淡々と遂行していくさまが超クールで、マックス不在の穴をしっかりと埋めてくれる。
ジャックと成長したフュリオサ(アニャ・テイラー=ジョイ)の関係は、まさに師匠と弟子。
ジャックは、憤怒の目ヂカラを宿すフュリオサに対して、ドライビング・テクニックとメカニックの技術、乱世を生き抜く戦い方を惜しげもなく伝授していく。
胸熱な展開の中で、ふたりの絆は深まっていくが、それはさらなる悲劇へのプロローグでもあった。
暴君ディメンタスによって、母親を目の前で殺され、左腕を失い、師と仰いだ男までをも奪われたフュリオサ。
復讐の化身は、ジョーとの覇権争いに敗れ、背走していくディメンタスを捉えて逃さない。
リベンジの達成が目的の物語にとって、その復讐方法はもっとも興味を引く要素だろう。果たして、憎きディメンタスをフュリオサはどのようにして裁くのか?
死よりもつらい制裁。
手塚治虫のライフワーク『火の鳥』。フュリオサの下した決断は、まさに『火の鳥 宇宙編』のラストだった。
愚かで未熟な人間を、無慈悲に断罪する“火の鳥=フュリオサ”。生きながらにして樹木へとメタモルフォーゼを遂げたディメンタス。
フュリオサが亡き母から受け継いだ「緑の大地」の象徴が、真っ赤な果実となって蘇る。
なんと、美しい幕切れだろう。
没入型の疑似サバイバル体験は、一昨年の『トップガン マーヴェリック』や『RRR』に匹敵するおもしろさだった。
安心のクオリティ、リピート必至の中毒性を宿している!