タヴィアーニ兄弟監督『塀の中のジュリアス・シーザー』牢獄の中で繰り広げられる現実と虚構
<作品情報>
<作品評価>
70点(100点満点)
オススメ度 ★★★☆☆
<短評>
上村
ブルータスを演じたサルバトーレ・ストリアノは本当に刑務所に収容されていた人物で、マッテオ・ガローネ『ゴモラ』で映画デビュー、最近では『ノスタルジア』にも出演していたというそうです。
うーん、物足りない。本作の受賞は大番狂わせと言われ、マイク・リー率いる審査委員は「保守的だ」と批判された。確かに設定以上のものがあまりない映画でした。なにより『父 パードレ・パドローネ』『グッドモーニング・バビロン!』が大好きだった自分からすると期待外れですかね。
設定の時点でもう勝っているのは間違いないです。囚人がシェイクスピアの戯曲を演じるというあらすじでもう面白そうですよね。
実際面白いのは面白いのですが、期待以上のものはなかったかな。最初の時点で戯曲と現実が混濁していくという展開は予想できるものだったので・・・
役者の熱演は素晴らしいし、白黒とカラーを使い分ける撮影もいい。ただ、脚本が物足りない。この設定ならもう少し深く描いてもいいのではと思いました。
クマガイ
どこまでが演劇で、どこからが現実なのか、その境目が徐々に分からなくなってくる秀作でした。
この映画の何が凄いって、メタ構造であると確実に理解できているのに、たとえばシーザーの最期やブルータスやアントニー(アントニウス)の葛藤とローマ市民(囚人)たちへの煽動に見入ってしまうことですね。
単に「囚人たちがシェイクスピアの演劇をやります」という設定映画ではなく、きちんと中身も詰まった重厚な1時間16分だったと感じました。
北林
『塀の中のジュリアス・シーザー』は、胡蝶の夢のように現実と夢の間を行き来しているようです。胡蝶の夢は、現実か夢かの区別がつかない状態を指す中国の故事で、この映画では演劇と現実の境界が揺れ動きます。物語は、重罪を犯した囚人たちがシェークスピアの『ジュリアス・シーザー』を演じ、その過程で自分たちと役柄が織り成す現実と夢の境界があいまいになります。映画が進むとともに、囚人たちは演じるキャラクターと現実の自分との間で揺れ動きます。それがかなり胸を打つところがあります。この作品は、演劇と現実、自由と拘束の間の人間の葛藤を鮮やかに描き出しています。非常に考えさせられる作品です。
<おわりに>
名匠タヴィアーニ兄弟が手掛けた実験的作品です。現実と虚構が入り交じる独特の世界観に入り込めれば楽しめる作品です。基本的には白黒ですが、どこでカラーに切り替わるか、それも見どころでしょう。
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