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既に

"そうなっている" ものに "そうする" という投影を重ねない。

投影は認識の想像に沿って 事実を歪めようとする行為であり、
投影しようとしている "只管" とか "非思量" というものはない。

故に認識を用いる限り相対と投影が続き 永久に坐禅にならない。

禅 ~現代における見性悟道の実際~(PDF)