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断想 ~気の向くままに

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思考の断片を残したnoteのまとめ。
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#note

学び・仕事・遊び、どんなイメージ?【断想】

「〈学び〉の対義語を3つ挙げてみてください。」 「〈仕事〉の対義語を3つ挙げてみてください…

地元で生きたグランドレベルを見てみたい 〜いきいきとしたまちを求めて【断想】

地元で見たい景色のことが書かれている本に出会った。 2017年に出版された、田中元子さんの『…

母校には特別支援学級がなかった :僕は恵まれた環境に育ったのだろうか?【断想】

京都教育大学附属小中学校で、特別支援学級を廃止しようという案が出されているそうです。 特…

人は死ぬ。あなたも、僕も。【断想】

 人は死ぬ。 死は、 いつなんどき訪れてもおかしくはない。  突然の訃報だった。 それほ…

隙間も意外と悪くない?【断想】

隙間があいていると隙間風が吹く。 隙間に落ちたものはなかなか取りづらい。 心の隙間にはつけ…

それをやらなければ生きてゆけない ~ぼくのテーマ【断想】

阿部謹也(1935-2006)の『自分のなかに歴史をよむ』(筑摩書房、1988)の一節だ。  阿部と…

標準語を話し始める友人と関西弁にこだわる僕の話【断想】

 標準語では極力話さないようにしている。 東京でしばらく過ごした際にも、特段意識していたわけでもないが、決して標準語を使うことはなく頑なに関西弁で話し続け、周囲に関西弁を伝染して得意げに帰ってきたのを憶えている。  ところが皆が皆僕のように方言にこだわるかといえばそうでもないように思う。 大学生になると、関西の大学に通っているというのに、高校の友人の数人が標準語を話すようになっていったのには驚いた。どうやら様々な地方から来る人がいたり、異年齢との付き合いが多くなったりする

ミンドロ島と奥永源寺の「いい知れぬほどの恥ずかしさ」の話【断想】

 高名な児童文学作家・灰谷健次郎氏のフィリピンのミンドロ島での休暇のエピソードに印象的な…

何を捧げ、生きようか 〜政治と闘争について【断想】

政治は闘争だ。 僕には言い切るだけのそう言い切るだけの確信を生む知識も経験もないから、昔…

越境 〜閉ざされた世界の外へ【断想】

 最近は「境界線」が専らのテーマなのであるが、以前「越境」についてFacebookで書いたことを…

線は正確に引くことなかれ【断想】

縁を引くということは、「取りこぼす」ということだ。 断念に血を流すような痛みが伴うように…

日本人の調和力のこれから【断想】

日本人は調和を好む。 このように日本人は特徴付けられることの少なくないが、僕も概ねこの言…

君は生きたいか?: 『それでも夜は明ける』を手掛かりに【断想】

「君は生きたいか?」 今日はこの問いからはじめてみたいと思う。 先日、「君は生きているか…

【断想】生きているか君は。 君は生きているか。

「君は生きているか?」 そう問われたなら、 君はなんと答えるだろう? 「生きているに決まっている。」 普通、そう答える人が殆どなんだと思う。 確かにいま、この文章を読んでいる君も、書いている僕も、心臓が拍動しているわけで。 医者に、死亡診断をしてくださいとお願いしても、それはできないと一蹴されてしまうだろう。 そういう意味では、僕たちはこの世界では「生きている」。 だが、この「生存している」という意味での「生きている」はあくまで、受けた生を保っているという受動的な「