地元で生きたグランドレベルを見てみたい 〜いきいきとしたまちを求めて【断想】
地元で見たい景色のことが書かれている本に出会った。
2017年に出版された、田中元子さんの『マイパブリックとグランドレベル』(晶文社)だ。
僕もメンバーである SWLAB というプロジェクトで、今度開催するイベントのゲストの一人が田中元子さんに決まり、事前学習のために手にとったのだが、面白いのなんの。
僕自身、これまで地元滋賀で「まちづくり」に少々関わってきたのだが、田中さんのことを知らなかったのが恥ずかしい(もちろん「喫茶ランドリー」の名前くらいは知っていたが、ちゃんと調べたことはなかった)。
なにかが足りない、地元の景色
僕は地元が好きだ。好きなのだが、同時に物足りなさをおぼえている。
別の言い方をすれば、すれ違う人の中にはきっと、このまちに対して愛着を感じない人も多いだろうと思う瞬間がある。
僕の地元は滋賀県大津市の石山というまち。
最寄りのJR石山駅から、京都駅まで15分、大阪駅まで45分で出ることのできる利便性の高さもあって、駅の乗降車数は県内で3番目に多く、比較的人の多いまちだ。
「人の多いまち」と表現したのにはわけがある。
例えば「発展したまち」と書いてもいいのかもしれないが、僕の目には石山は、発展しているようにも、賑わっているようにも、ひと気があるようにも(ひと気は同書のキーワードの一つ)うつらないからだ。
確かに石山は滋賀有数の飲み屋の多いまちだから、週末の夜なんかはそれなりに賑わいもある。友人とたまに飲み歩くのが楽しいまちだ。
でも、石山が「いきいきとしたまち」とは感じない。
いや、最もピタッとくる表現は、
「まちと繋がっている感じがしない」だ。
まちとの繋がり
石山の中心は、石山商店街という通り。
下のマップを見てもらえれば、なんとなくかなりお店もあるらしいということはわかってもらえるだろう。
(出典:石山振興組合)
昭和2(1927)年に東洋レーヨン(現:東レ)の滋賀工場ができて以来、石山は企業城下町として発展し、滋賀きっての賑わいある温かなまちになっていったという。
いまでも石山商店街は、いわゆるシャッター街ほど廃れているわけでもない。
日中は美容院や喫茶店、花屋、薬局などが空いているし、夜になれば飲み屋の明かりが灯る。
ところが、まちを歩いていて僕がおぼえるのは、ある種の疎外感だ。
自分がまちの一部ではない感覚。
僕は石山に住んでいる。それなのにイマイチ石山に暮らしている感じがしない。
まちと繋がっている感じがしない。
グランドレベルが生きているか
同書にこんな一節がある。
グランドレベルとは、地面に経って自然と目に入ってくる1階のことだ。
ああ、そうか。石山はグランドレベルが瀕死なんだ。
マイパブリックという希望
グランドレベルの死。それを認知したところで、普通その先には絶望しか待っていない。
少子高齢化・人口減少社会の日本において、地域活性・地方創生は戦乱さながら。
成功するのは一握りで、殆どが失敗する競争状態だ。
この路線では、「まちをどうにかしたい」は戦いのゴングで、求められるのは闘争する覚悟になる。時に比喩的に、時に字義通り。
だが、田中さんの提唱する「マイリパブリック=自分で作る公共」の開く道は違う。
公共は無理のない範囲で自分でつくっていけばいい。
パーソナル屋台といった「趣味」を通して結晶化したマイパブリックという思想は自由だ。
僕は何をやろう。
田中さんの本を読んでから思索が止まらない。
あんまり興奮したので、読んですぐに地元の幼馴染にメッセージもした。
とりあえず今日は、地元で死守したいグランドレベルの一つ、銭湯の容輝湯にも行ってみた。
僕は、石山で生きたグランドレベルを見てみたい。