君の好きな音楽を好きになりたかった
「好きなバンドとかいるの?」
大学の時付き合っていた女の子に、そんな質問をしたことがある。
「うん!10-FEETってバンドが好き」
10-FEET。
名前は聞いたことあるけど、曲はひとつも知らなかった。
「へー。今度CD貸してよ」
彼女は、快くアルバムを貸してくれた。
好きな人の好きな音楽って、気になるものだ。
それだけで、ちょっと良く聴こえたりする。
「特にどの曲が好きとかあるの?」
そう聞くと、彼女はしばらく迷ってこう答えた。
「『goes on』って曲が一番好きかな」
「へー。」
なんでもないフリをしていたけど、僕は隠れて『goes on』を死ぬほど聴いた。
彼女の好きな歌を好きになろう。そう思っていた。
付き合って、3年の月日が経って。
彼女のお母さんの体調があまり良くないことを知った。
「お母さんの傍にいたいから、会う頻度を減らしたい」
僕は二つ返事でOKした。
家族を大切にするのは素晴らしいことだ。
彼女は僕と会う以外、ほとんどの時間を家で過ごすようになった。
会う頻度は週1回から月1回になった。
でも、僕の彼女への気持ちは変わることはなかった。
大学を卒業する年。
僕と彼女はそれぞれの岐路に立っていた。
彼女は金融機関に就職。
僕は内定をもらっていたけど、夢を追うために就職留年を決めた。
彼女は最後の春休み、僕は面接ラッシュへと入っていくことになる。
「俺とじゃなくてもいいから、友達と旅行でも行ったら?
最後の春休み、少しは息抜きしなよ」
1月に会った時、僕は彼女にそう言った。
僕は、彼女に大学で楽しい思い出を作ってほしかった。
もちろんお母さんは大切だけど、彼女自身の楽しい思い出だって大切なはずだ。
残念ながら、僕は面接が控えていたので旅行には行けないけど。
「考えてみるね」
彼女は前と比べて痩せていたし、少し元気もなくなっていたけど。
その時は、ちゃんと嬉しそうだった。
『ゼミの友達と韓国に行ってくる!』
後日、彼女からそんなメールが届いた。
簡素なメールだったけど、嬉しそうな彼女の表情が思い浮かんだ。
『良かったね。
お土産楽しみにしてる』
楽しい思い出を作ることは、彼女のためになるはずだ。
僕はそう信じて疑わなかった。
彼女の母親が唐突に亡くなったのは、彼女が旅行から帰国する前日だった。
なんと言葉をかけていいのか、わからなかった。
彼女はお母さんの最期を看取ることができなかった。
その責任の一部は自分にもある。
そう思けば思うほどに、胸が詰まった。
「元気出して」
「泣いていいよ」
「お母さんは君のことを恨んでないよ」
起こってしまったことを考えると、どんな言葉も軽く思えて。
直接会っても、何か言ってあげられる自信がなかった。
時折メールを送ったけど、返事はなかった。
家が近かったから、本当は会いに行くこともできたけど。
僕は、就職活動を言い訳に彼女と向き合うことから逃げた。
「別れてほしい」
そんなシンプルなメールが届いたのは、彼女のお母さんが亡くなってから3ヶ月が過ぎた頃だった。
止める権利がないことぐらい、僕にもわかった。
3年半近く付き合った人と別れたダメージは、ボディブローのように徐々に効いてくる。
会う頻度を減らしていたこともあって、最初は実感が湧かなかった。
でも、毎日来ていたメールはもう来ない。
嬉しいことがあっても、もう報告できない。
ちょっとずつ、僕の心にヒビが入っていった。
そのことから目を逸らすために、僕はそれまで以上に就職活動に集中した。
ある日。
面接を終えた僕は、電車で帰路についた。
束の間の現実逃避として、僕はイヤフォンを装着した。
ランダム再生を選んで、自分の世界に没入する。
そうすると、少しは心の疲れが癒る。
そんなことを考えていた時、勢いのあるギターサウンドが耳を突いた。
『goes on』だ。
一瞬にして、忘れようとしていた彼女の顔がフラッシュバックした。
気が付くと、僕の目からは涙が溢れていた。
予兆さえなく、涙が突然零れたのは初めてだった。
電車の中で、何人かが僕を見ては目を逸らす。
それがわかったけど、残念ながら涙は止まってくれなかった。
電車の中で、窓に映った自分の泣き顔を見る。
歌詞の中で歌われていた風景は、僕そのものだった。
彼女の時間も、僕の時間も進んでいく。
どんなに辛くても、時は『goes on』していく。
だから、僕も彼女もきっと大丈夫。
そう自分に言い聞かせて、涙を拭った。
10-FEETを聴くと、今でも思い出す。
僕は、君の好きな音楽を好きになりたかったよ。
今でも、君の教えてくれた音楽は僕の心を支えてくれてるよ。
君は僕のことなんてほとんど覚えてないかもしれないけど。
僕は多分、君と君が教えてくれた曲を忘れないよ。