頑張っていれば褒めてもらえた季節の終焉と、「勝ちきる」ことを身につけた僕の顛末
ある時を境に、営業力がグッと伸びるのを感じた。
いや、それは結果としての産物で、自分の態度が物事においてしっかり結果を出せる人間のそれになったということだろう。
結果を出す人間の態度とは、何だろうか。
当時、私は24歳。
社会のことを何も分かっておらず、それどころか自分のことも分かっていなかった。親の庇護のもと、ぬくぬくと生きてきた小僧だった。
大学を卒業してから、アルバイトと契約社員しかしていなかった私が、はじめて「個人事業主」になったのがこの年だった。
個人事業主になる、ということの意味も分かっていなかったのだ。せいぜいちょっと呼び方が違うアルバイトくらいの感覚でいた。
しかし働きはじめて、すぐに大変なことに気付いた。
個人事業主、仕事は訪問販売。それも完全歩合制。こんな理不尽な仕事があるだろうか。まあ、幾らでもあるんだが、当時の自分には受け容れがたいものだった。
商材は支給されるもののみ。服装も規定されている。自分が売りに行く地域も時間帯も決められている。トーク内容も型どおりやらねばならない。
なのに、備品はすべて自分が負担しなければならない。
資料も道具も名刺も、すべて自分で用意しなければならない。
備品代だけじゃない、交通費も出ない。家賃補助もまかないもない。
なんだこれ。
商材を一つ売ると一〇〇〇円の儲け。
そのかわり「成果を上げただけ自分の収入が増える」って、頑張っても上げられなかったら、どうするんだよ。
それでもその仕事をしたのは、自分が売る側でなく、売らせる側に回れば儲けられると考えたからなのだった。
売る側から、売らせる側へ昇格するためには、まず自分が売らなければならなかった。
月曜日から土曜日まで、朝九時から夜七時過ぎまで。
アポ無し訪問、即決で購入してもらい、その場で代金を回収する。
一日あたり三〇〇軒を訪問した。
そのうち人と会えるのは、せいぜい五〇軒。
一日に一万円を稼ごうと思ったら、十人に売る必要がある。
割合を考えると五人に一人には買ってもらいたい。
ところが、これが売れない。買ってくれるのは五〇~一〇〇人にひとりくらいだ。
今なら自分の売り方が悪かったと分かる。しかし当時は「こんなもんが売れるかボケ」と思っていた。無名のメーカー、怪しい商材、その場でお金を支払うリスク・・・・・・すべてを不利に考えていたからだ。
足を棒にしながら一日に千円、二千円しか稼げない日もザラだった。
売れない日の夕暮れ、疲れた足を引きずりながら窓に灯ってゆく灯りを眺めて、自分は世界でいちばん孤独だと思っていた。
しかし同じように訪問販売をやっている仲間は売ってくる。
私が一つしか売れなかった日も、十以上も売ってくる人がいた。
あいつは有利な地域なんだ。あの人は経験があるから。彼女は女だもん、そりゃ売れるよ。
売れている人には、自分にはない特別な理由があると思っていた。
だが地域を交換してもらっても、若手で未経験でも、女でなくオッサンでも、売る人は売ってくるのだ。
ズルしてるんじゃないかと思って一緒に回っても、眼の前で売っている。私と同じ方法で。特別なことはしないで。
私ももう少しナイーブだったら「鬱になった」とか「適応障害」とか「自分には向いていない」とか言って足を洗っただろう。
残念ながら、私は過度の意地っ張りだった。それ以上に、毎日を生き抜くことで必死だった。
「あいつらに出来て、自分に出来ないなんて許せない」
もはや儲けたいより、このままじゃ終われない気持ちの方が勝っていた。
訪問販売をはじめて四ヶ月が経過した。
一緒にスタートしたメンバーはみんな昇格。この時点でリーダーになっていないのは私だけだった。
リーダーとは、売り方を新人に教えられる立場。売る側に回るための最初のステップとなる役職だ。
怠けてなどはいない、本当に実力で認めてもらえなかった。
会社から駅までダッシュ、駅から営業テリトリーまでダッシュ。訪問する家と家の間もダッシュ。ひとりでも多くの人に会う。昼休憩などない。カバンの中にねじ込んである七本入りのチョコチップスティックを囓りながらテリトリーを回る。とにかく一軒でも多く。そこまでしても売れない。
それまでは頑張っていさえすれば、たとえ勝負に負けることはあっても頑張ったことそのものを認めてもらえていた私にとって、これは未体験の苦痛だった。忍耐不可能にも思われた。
リーダーになる条件は三日連続で十個以上、商材を売ってくること。
当時の私には、とてつもなく高い壁に思えた。とても人間業ではないとすら感じた。
しかしとうとう私にもチャンスがやって来た。有利だと思える地域に当たったのだ。ここでなら売れる。
そんなものは錯覚なのだが、当時の私は奮い立った。
そしてこのチャンスを機にリーダーになると固く決意して、走りまくった。
私の情熱が伝わったのか、お客さんもいつもと反応が違う。
一日目、初めての十個販売を成し遂げた。
翌日も走った。この地域なら勝てる。勝たなければ、この地域をあてがわれているうちに。走りまくったが、まったく身体は疲れない。二日目も十個販売を達成。
いよいよ三日目。今日売れなかったら、この二日間が無駄になる。緊張感と気迫が掻き混ざったような状態で営業へ出発。
ひとつ、またひとつ売れてゆく。売れるたびに嬉しさと不安で頭の中がグラグラする。
インタフォンを押す、何軒かにひとつ顔を出してくれる家がある。さらにその何軒かにひとつ、話を聴いてくれる家があり、その何人かにひとりが商材を買ってくれる。
その日も、時間いっぱいギリギリまでセールスに走った。私が二〇個持ち出した商材は、七個になっていた。売れた。一三個。これでリーダーになれる。
オフィスに帰ると、仲間たちが祝福してくれた。私は得意になり、みんなに買ってもらえたエピソードをひとつずつ自慢した。
緊張の糸が途切れたのだろうか。翌朝起きると、強烈な悪寒に襲われた。四ヶ月の疲労が一気に襲ってきたかのようだ。
私は仕入れ先の社長に連絡を入れ、今日は休ませて欲しいと伝えた。
「そうか」
社長は残念そうな声で、そう言った。
一日休んだお蔭か、翌日になると悪寒は治まっていた。私は意気揚々と出社する。
なにせ、今日からリーダーなのだ。ようやく仲間たちと肩を並べられる。後から入ってきて私を追い抜いていった奴らにも追いつける。
今日が報われる日なのだ。
昇進発表は、朝礼で行われる。勢いのあるリーダーをプロモーションして、全体の士気を上げるためだ。
これまで何人ものプロモーションを傍観してきた。今日は私の番だ。
しかしこの日の朝、私のプロモーションは行われなかった。
通常通りの朝礼が行われ、みんなはセールスに飛び出していった。駅までダッシュしていく。その背中を見送ってから、私は社長の部屋を開けた。
「なんだ、まだ居たのか」と言わんばかりの顔をしている彼にたずねた。
「なんでプロモーションがないんですか?」
社長は小さな溜め息をひとつついてから逆に質問をしてきた。
「なんで昨日、来なかった?」
「言ったとおり、具合が悪かったからです」
「そうか。じゃあ、おまえはまだリーダーじゃない。俺ならプロモーションの朝は、熱がどんなに高くても来るよ。大切な日に倒れているリーダーなんていないんだよ」
返す言葉が声にならなかった。休んだらプロモーションはない、なんてルールは聞いていない。だいいち電話したときに言ってくれればいいじゃないか。
そんな私を見透かすかのように社長は続ける。
「こんなこといちいち誰も教えないよ? 当たり前すぎることだろう。リーダーになるなら、リーダーとして振る舞えよ。リーダーになってからリーダーとして振る舞うなんて奴、リーダーには出来るわけないだろう」
腹の中に熱い鉄の塊を流し込まれたようだ。泣きたくないが目が赤くなっていくのが分かる。そんな私を見つめたまま社長は眉ひとつ動かさない。
「リーダーはこういうとき、どうするんだよ」
私はカバンをひっつかみ、その言葉に答えず駅へ向かって突っ走った。
一度逃した「勝負の潮」を再び呼び戻すのは簡単ではない。もう一度、条件を達成し私がリーダーになるまで、さらに一ヶ月を要した。
この経験を経て私は、絶対に体調不良で倒れることがなくなった。どんなに大変なイベントを越えた次の日でも、朝から仕事をするようになった。
営業も強くなった。つべこべ理由を付けず、ひとりでも多く人に会う。相手が買いたくなるよう動く。いかなる場合にも自分の態度を守り、ねばり強く結果を出す。やる気と関係なく自分を動かす。起こったことは、どんな理由があろうとも自分で引き受ける。そういう人間になった。
あの日、私がそのままリーダーになっていたら、それまでの「頑張ってさえいればいい」と考えていた自分を変えられなかっただろう。
根性をたたき直すとはこういうことだ。バカは死ななきゃ直らないと言われるが、本当に死ぬかと思うほど頑張った。殺す気で動いた。まさに、それまでの自分を殺す日々だった。甘ったれた考えや泣き言をひとつずつ殺した。
理不尽などはない。文句を言わせないくらい達成する。
自分を可哀想がっている暇はない。その時間に動けば状況は変えられる。
他人の責任を追及することに意味はない。我が身に起こったことは自分しか引き受けられないのだ。
私は受験も経験しなかった。部活でもレギュラーにはならず、ベンチで応援だけしていれば良かった。その方が試合に出るより気が楽だった。何か新しいことをはじめても、上手く行かないことにぶち当たるとすぐに放り出してやめてしまった。
「頑張っていれば褒めてもらえた季節の終焉」などと大袈裟に書いたが、こんなこと子供の頃から知っている人は沢山いる。
それまでの私は親に甘やかされ、守られ、許されて生きてきた。
「頑張っていれば」。それが許されない世界がある。いや、本当はそっちのほうが薄められていない本物の現実なのだ。
そこに触れたから私は「勝ちきる」ことを身につけられたのである。
現在では、当時の一〇〇~一〇〇〇倍の価格のサービスを販売している。それもお客様から求められて、だ。
あの日、あの屈辱と悔しさと自分に向けるしかない怒り。あの場所から、いまの自分は地続きなのだと知っている。
勝つためには、いつでも自分を改め、最下層から出発してやると瞬時に肚をくくられなければならない。さらに、すぐに緩む覚悟を何度もくくり直す。
「そんなことするぐらいなら・・・・・・」という考えを横に置いて、自分が変わる環境、変わらざるをえない局面にどっぷりと身を浸す期間。「自分なんかが変われるとは思えない」という囁きに耳を貸さず、ただひたぶるに立ち向かう。その時間が必要である。特に、男には。
こんな話は「昭和」の遺物なのだろうか。
現代の風潮に合わないと私自身も想う。
ただ誰もが口に出さないだけで、いや、口に出せなくなっただけで、「頼りになる人間」というのは、こうやって育っていく。
それだけは時代を越えて変わらぬ真実であろう。
以上
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自分を好きじゃない君へ
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